はじめに(担当教員)

そもそも…

 2022年度、愛知大学国際コミュニケーション学部の演習科目「国際フィールドワーク」に台湾コースが加わった。しかも、同科目としてはコロナ禍後初めての開講だったので、ダブルの意味で「初」である。

 夏季の台湾はマンゴーが美味しい。でも、暑さや台風を思うと、とてもフィールドワーク向きとは言えないので、現地滞在の時期は春季休暇中の2月に設定した。その前の2022年度秋学期に調査の準備をし、現地滞在後の2023年度春学期に調査の取りまとめを行うというスケジュールである。

 学生たちは、けっしてあっさりしているとは言い難い授業運営によくついてきてくれたと思う。とくに今年度の調査レポートの作成には辛いものがあったのではないか。頑張ったみんなを労いたい。

 

故宮博物院にて

 

目指したもの

 レポートは、いずれも力作である。執筆時点でウェブ上に見られなかった情報を発信したものであり、その意味ですべてがオリジナリティを備えた報告だ。

 ある文章が「学術論文」であるための最も重要な条件は、公共的な学術知に対してなにか新しい貢献をすることにある。アカデミズムの中で生きる人間はそれを「研究のオリジナリティ」などと呼ぶ。その研究がどの点でどの程度オリジナルなのかは、当然ながら、すでに存在している研究群(先行研究)との比較においてのみ言いうるものだ。

 この、すでに存在している情報を把握し、それとの違いをアピールしつつ、自分のオリジナルな情報を他人様に向けて発信するという作業は、大抵の学生が取り組んだことがない実践であり、早いうちに訓練する必要があるスキルである。

 というのも、参加学生たちがこの後着手する卒業研究にも活かせるし、そればかりか、実社会に出てから新しい商品を作り出す際にも応用できるからだ―――すでにマーケットに存在している商品群を把握し、それとの違いをアピールしつつ、自分のオリジナルな新商品を顧客に提供する、というプロセスと同じなのである。

 学生には、「すでに存在している情報」として、文献ではなくウェブに当たるようにも言った。フィールドワークでは、調査の現場で問いを見出し、先行研究に当たり、ふたたび現場での調査を続け、その問いを練り上げていく、というメビウスの輪のようなプロセスが普通である。けれども、国際フィールドワークの場合2週間現場に居続けるので、文献へのアクセスはできないと考えたほうがいい。輪がつながるように、いつでも閲覧可能なウェブ上の情報を「先行研究」に位置づけたのだ。

 まだ誰もウェブ上で言ってないことを見つけ、それについて調べる。そしてそれを読者にアピールする。学生たちはなかなか要領がつかめず苦労したようであるが、例年の卒業論文の指導を思うと、初めての場合たいていそんなものである。実際にやってみて、慣れるしかないのだ。

 

感謝のことば

 慣れるしかない―――。そういえば、これは秋学期の授業の最初の方で強調したものである。フィールドワークも文章作りも慣れ仕事なのだ。料理やスポーツ、言葉と同じで、やってみてはじめて上達していく。そして、教員は、昔なら軽く「習うより慣れろ」と済ませることができた類いのものを今では言語を用いて教えなくてはならない。手取り足取り、手探りで、だ。教える側も教わる側も、おそろしく骨が折れる作業である。

 しかしながら、だからこそ価値のある営みだとも言える。私は授業をとおして、言葉で説明しにくいものをどうやって表現すべきなのか、学生とのやり取りから多くのことを教えてもらうことができた。この種の暗黙知を私なりに少しは明るみに出せたかもしれない。そう思うと、感謝しかない。

 最後になるが、このプログラムをバックアップしてくれた愛知大学ならびに国際コミュニケーション学部の関係者全員に深く感謝したい。

 私たちのフィールドワークが本学本学部の発展に少しでも寄与できればと思う。


岩田晋典(国際フィールドワーク(台湾)担当教員)

 

1年生のおやつ風景




台湾におけるリノベーションスポットの在り方

 

春川 凜

中村 未衣

鈴木 寧々

 

1. はじめに

 台湾のリノベーションスポットは、いまや一大観光地である。しかし、旅行ガイドブックでもウェブ上でも一般的な情報が掲載されているのみである。

 そこで、本レポートではそもそもリノベーションスポットとはどのような場所であるのか、施設に共通する事柄はあるのかという観点から、著名な4か所に絞り、店舗やアトラクションについての共通点をさぐった。

 

2. リノベーションスポットとは

2-1 リノベーションスポットの前提

 台湾では歴史的建造物を改築し、芸術スポット・イベントエリア・観光スポットとして新たによみがえらせる文創園区が注目されている。日本統治時代をはじめとする集合住宅、港や工場の倉庫群などの、こうした‟文化創意産業(文化クリエイティブ産業)”がみられるようになったのは、2002年に行政院が「発展文化創意産業計画」を発表したことが発端である。また、こうした動きは世界各地でも見られるものである(赤松・若松, 2022)。具体的な動きとして、日本統治時代から残され続けている建物の改築に伴い、トレンドをけん引する場所へと発展させることで、新たなリノベーションスポットとして観光客を含むさまざまな人々にとっての「歴史的学習・娯楽」の施設が生み出されている。

 その中でも、多くの旅行用雑誌でも取り上げられている4か所のリノベーションスポットを調査対象とする(表1)。

 

【表1】4ヶ所のリノベーション施設について

 

設立年[1]

現地点

元の建物

特徴

崋山1914文創園区

2007

中正区

酒造場

煙突

松山文創園区

2011

信義区

煙草工場

市定史跡

西門紅楼

2007

万華区

市場

六角堂

四四南村

2003

信義区

軍人村

博物館

パンフレットを基に筆者作成

2-2 現地の学生にとっての台北リノベーションスポット

 現地の学生2名にリノベーションスポットに関する簡単な聞き取りをしたところ、「台北市内のリノベーションスポットへは友人と月に1回程度遊びに行く」と話していた。また、リノベーションスポットに対する印象については、「外は古そうに見えるが中は綺麗な感じがする」と答えた。実際に建物自体は古いものを利用しているため、外観からは歴史を感じることができる。一方、内装は訪れる人々が快適に過ごせるように現代的に造り替えられている部分もある。このような工夫を凝らすことで、リノベーションスポットは台湾の人々にとって身近な存在となり、観光客が足を運ぶ場となっている。

 

3.リノベーションスポットの7つの共通点

 以下、台湾のリノベーションスポットにおける7つの共通点を順に説明する。

①カフェ

②雑貨

③劇場

④イベントスペース

⑤ポップアップ

⑥歴史表示

⑦スタンプラリー

3-① カフェ

 リノベーションスポットには、カフェスペースやドリンクスタンドが設けられている(画像1~6)。コーヒーや紅茶、アルコールをはじめとする飲み物に加え、ケーキやベーグルなどの軽食を販売する店も多くある。常設されている店舗の数は4箇所さまざまであったが、チェーン店が“リノベカフェ“として常設されている例も見られる。松山文創園区の敷地内では、台湾のコーヒーチェーン店である「cama café」が、かつてのたばこ工場「松山菸草工廠」の鍋爐房(ボイラー室)をリノベーションし、「CAMA COFFEE ROASTERS 豆留文青」を2022年8月5日にオープンしている(画像7)[2]。また、いくつかのカフェは雑貨店や書店と併設しており、飲食を楽しむスペースであることに加え、その場で雑貨を選んだり、本を読んだりすることができる空間になっている。

画像:華山1914文創園区のカフェ

画像2:ドリンクスタンド

画像3:松山文創園区のカフェ

画像4:松山文創園区のカフェ

画像5:四四南村のカフェ

画像6:西門紅楼のドリンクスタンド

画像7:CAMA COFFEE ROASTERS 豆留文青

 

3-② 雑貨

 施設の中には平均して9店舗の生活雑貨屋が常設されている[3]。松山文創園区は8店舗、華山文創園区は12店舗、西門紅楼は16店舗[4]、四四南村は2店舗である。

華山文創園区の入り口のすぐ左側に位置する「未来市」では、台湾屈指のデザイナーや職人が作った生活用品やアート作品、食品、インテリア、化粧品などが33のブースで販売されている。

 松山文創園区の敷地とは、大型ショッピングビル「誠品生活松菸店」が隣接しており、書籍に加えメイドイン台湾(MIT)の商品を扱う各種ショップと、誠品独自の商品を展開する2つのコーナーがある。

 西門紅楼の「十字楼」と呼ばれる建物内には、台湾の若手デザイナー達が創作するMIT商品のショップが立ち並ぶ。「16工房」という名称であるが、現在では16以上のショップが立ち並ぶ。

 四四南村の「好、丘」はカフェと併設しており、自然派食品やコスメ、食器など珍しいお土産も多く陳列されている。

 以上のように、それぞれのリノベーションスポットは、店のコンセプトもそれぞれ異なり、多種多様なMIT商品、雑貨が陳列されている。しかし、店舗や商品の中にはいくつか共通するものもみられる。共通点は以下の3点である。

  a. 知音分創(Wooderful life)の店舗

  b. ドリンクホルダー

  c. 台湾ビールグラス

 

a. 知音分創(Wooderful life)の店舗

 知音文創(Jean Cultural & Creative Co..Ltd.)は、40年以上の歴史を持つ台湾の企業であり、Wooderful lifeは知音文創の系列ブランドの1つである[5]。“Wooderful life”には、木(Wood)の素晴らしさ(Wonderful)に触れる日常への思いが込められている。店内には自社設計の木製のおもちゃを中心に、温かみのある音色のオルゴールや文具などが並ぶ。子供が遊べるプレイエリアのほか、商品の木製パーツを自由に組み合わせて、購入者がオリジナルの作品を作ることができるDIYコーナーもある[6]

 華山1914文創園区と西門紅楼にはWooderful lifeの店舗が常設されている(画像8, 9)。店舗はないが、松山文創園区と四四南村にも木のおもちゃが陳列されている。知音文創Wooderful lifeは、台湾のリノベーションスポットで頻繁に取り扱われる傾向がある。

画像8:華山1914文創園区のWoorerful life

画像9:西門紅楼

 

b. ドリンクホルダー

 4箇所のリノベーションスポット全てでドリンクホルダーが売られている。

画像10:華山1914

画像11:松山文創園区

画像12:四四南村

画像13:西門紅楼

 

 台湾では、2018年からドリンクスタンドの袋提供が廃止になった[7]。そのため、何度も繰り返し使用でき、環境に優しいドリンクホルダー(ドリンク用エコバック)が一般的になった。フィールドワーク期間中も、街中でドリンクホルダーを持ち歩いている人を多く見かけた(画像10,11)。こうしたドリンクホルダーは、リノベーションスポットでは個性的なものを購入することができる。

画像10,11:ドリンクホルダーを使用する様子

 

c. 台湾ビールグラス

 また、台湾ビールグラスも4箇所のリノベーションスポット全ての雑貨店で売られている。このグラスは一杯143mlであり、600mlの台湾瓶ビール一本を少しずつ注ぐことで6杯分取れる大きさである。1940年代に戦争によって酒類の供給が減少した際、公売局が戦時下の飲酒量を調整するためにビールのサイズを縮小し、143mlのグラスを制作したことから主流となった[8]。現在では、豊富なデザインが存在し、高い確率でリノベーションスポットでの購入が可能である。

画像12〜15:台湾ビールグラス

 

3-③ 劇場

 崋山1914文創園区には映画館が併設されている(画像16)。また、松山文創園区では週末などのイベント時のみに設置される仮設舞台があり、その都度テーマに沿った出し物が披露されている(画像17~19)。

 四四南村における劇場も同様であり、舞台自体は常に設置されているが、常時何かが上演されているわけではなく、イベントに合わせて利用されている(画像20,21)。たとえば2月18日には、併設されたブックカフェにて、書籍に関するトークショーが行われていた。

 西門紅楼2階部分の劇場には実際に立ち入ることが出来なかった(画像22)。しかしホームページによると、映画・ライブ・演劇などが行われていると記載されている[9]。また、イベント時に使用される仮設舞台も設置されている(画像23)。

 リノベーションスポットにおける劇場の役割は、台湾全体として発展を目指している文化創意事業の動きに基づくものと、娯楽目的であることが挙げられる。なお、リノベーションスポットで映画・トークショー・演劇などが行われている別の理由としては、台湾政府が推進している“文化創意産業”の発展項目にこれらが含まれているからだ。

 

画像16:崋山1914文創園区の映画

画像17:松山文創園区の舞台 

画像18:設立中の仮設舞台 

画像19:週末イベント用ステージ

画像20:四四南村の小劇場の宣伝

画像21:舞台

画像22:西門紅楼 二階劇場

画像23:仮設ステージ

 

3-④ イベントスペース

 本項で述べる“イベントスペース”とは、イベントを行うことができる広々とした場所を指す。我々が訪れた4ヶ所のリノベーションスポットにはそれぞれ、建物と建物の間に広がるひらけた場所や通路、大きな倉庫などがあり、それらの場所で休日になるとさまざまな店がでる。フィールドワーク5日目の2月19日、華山1914文創園区の芝生の広場では「世界母語日」のイベントが開催されていた(画像24,25)。イベントスペースにはいくつものテントがはられ、フリーマーケットがひらかれていた。ステージをはじめ、その他のスペースでは出し物や大道芸などの見せ物が行われていた。上述した言語イベントのように、公的な催し物の開催場所としてリノベーションスポットが利用され、“PRする場”になっている。

 

画像24, 25:崋山1914文創園区母語イベントの様子


3-⑤ ポップアップイベント

  4つのリノベーションスポットではさまざまなポップアップイベントが行われており、日本のキャラクターのものも多く開催されている。松山文創園区では、『ちいかわ』やイラストレーターであるKEIGOのイラスト、『ジョジョの奇妙な冒険』、『mofusand』、華山1914文創園区では、『SPY-FAMILY』や『すみっコぐらし』、『ゲゲゲの鬼太郎』などのポップアップイベントが行われていた(画像26)。日本のアニメやキャラクターが、台湾でいかに好まれているかが分かる。

 他にも松山文創園区では、ミッフィーや韓国のオンラインゲームである『メイプルストーリー』のポップアップイベント、台湾のイラストレーターとコラボした期間限定カフェ、『愛情有(無)進展』という期間限定イベントなどが開催されていた。華山1914文創園区では、『The Butters』や『ESTHER BUNNY』、『BABY SHARK』、『MICKEY THE TRUE ORIGINAL EXHIBITION』 などのポップアップイベントが開催されていた(画像27)。そして、西門紅楼では、台湾のイラストレーターによる期間限定の展示会が開催されており(画像28)、四四南村では、『臺北有農』という台北市の農業に関するポップアップイベントが行われていた(画像29)。

 松山文創園区や華山文創園区のように敷地が広いリノベーションスポットでは、1か所で多くの種類のポップアップイベントが行われる。また、アニメやキャラクターだけでなく、農業関連やイラストレーターによるものなど、イベントの内容もさまざまである。

 日本において、こういったポップアップイベントは、ショッピングモールや美術館で行われることが多い。それに対し、台湾ではリノベーションスポットがそれらを行う場所として利用されている。リノベーションスポットは、台湾国内のポップカルチャーを含んだ文化を伝えるとともに、海外のポップカルチャーを伝える場所となっている。

画像26:松山文創園区のポップアップ

画像27:華山文創園区

画像28:西門紅楼

画像29:四四南村の台北農業のポップアップ

 

3-⑥ 歴史展示

 華山1914文創園区の歴史展示は、壁の一角が歴史の説明を含むアートのようものになっている(画像30)。松山文創園区では、部屋のひとつが昔と今の写真を用いた歴史展示の部屋になっており、展示の仕方にもデザインのこだわりを感じられる(画像31)。また、華山1914文創園区、松山文創園区はどちらも施設内のいたるところに歴史の説明書きが添えられており、当時の生活で使用されていたものがそのまま残されている。西門紅楼では、入口から入ってすぐにある八角柱のまわりに過去の写真などが展示されており、年代を遡って歴史を知ることができるようになっている(画像32)。四四南村は、敷地内の建物1つが文化博物館となっている(画像33)。

 そして、それぞれの歴史展示には英語による説明書きほとんどなかったため、これらの展示は主に台湾に住む人々に向けた展示であることが分かる。

 

画像30:華山1914文創園区の歴史展示 

画像31:松山文創園区の歴史展示

 

画像32:松山文創園区の歴史の説明書き

画像33:四四南村の文化博物館

 

3-⑦ スタンプ

 日本統治下の台湾では1930年代になると観光、見学、参拝などの記念としてスタンプが押されるというトレンドが高まり始めた(陳,2020)。その名残で、台湾のいたるところでスタンプが親しまれている。

 調査したリノベーションスポットでも、必ずその名所の名前入りのスタンプが置かれており、そこを訪れた観光客がスタンプを押すことができる。

 いずれのスタンプにもその建物の形が反映されている。たとえば西門紅楼のものは、特徴的な八角堂の建築を斜め上からとらえたものである(画像34)。華山1914文創園区のものは、シンボルである煙突が際立っている(画像35)。

 

 

画像34:西門紅楼の八角堂スタンプ

画像35:崋山1914文創園区のスタンプ

 

3-⑧ その他の共通点

 全てのリノベーションスポットには当てはまらなかったが、華山1914文創園区と松山文創園区、四四南村の3か所にはそれぞれ本を取り扱う場所がある。華山1914文創園区には書店、松山文創園区には図書館が設置されている(画像36)。この図書館は、以前の大浴場が改装されたものであり、タイル張りの空間など当時の記憶が残されている[10]。四四南村には、ドリンクを購入すると、そこにある本を席で試し読みすることができるブックカフェ形式の書店がある(画像37)。

 華山1914文創園区と松山文創園区、西門紅楼には、服やアクセサリーを取り扱う店舗もある。

 

画像36:松山文創園区の図書館

画像37:四四南村の書店

 

4.リノベーションスポットにみる今後の課題

 台湾と日本の間に立ち、人と場を観光・旅行・アートなどを通して繋いでいく活動をするChad Liuさんは「リノベ施設をただの商業施設にしてしまうのではなく、場所としての記憶が無くならないようにしてほしい。物語、ストーリーと共に建物の記憶ごときちんと伝えていくこと!」と今後の台湾におけるリノベーションスポットの課題を示している[11]

 この意見と同様のものは、インターネット上でも見受けられる。「ものを残せば歴史が残ります。ものを壊してしまうと歴史が残りません[12]。」しかしながらその一方で、「朽ちかけた家を再建し、カフェやギャラリーにするためには日本円にして1億から2憶円かかります。お金が必要です。」との声もある。このようにコストに関しても懸念されており、歴史を新たな形で伝えていく取り組みは決して単純ではないことが分かる。

 

5.結論

 以上のように、台湾におけるリノベーションスポットにおいて大きく以下7つの共通点が存在することが分かる。

①カフェ

②雑貨

③劇場

④イベントスペース

⑤ポップアップ

⑥歴史表示

⑦スタンプラリー

 

 7つの共通点から、台湾のリノベーションスポットは多くの人々がスーパーやコンビニのように日常的に利用することに加え、台湾の文化や産業、歴史を伝える場所としての役割を担っているといえる。

 冒頭でも述べたように、台湾政府が国の発展に向けた計画として、“文化創意”いわゆる“文創”に力を注ぐ体制をとり始めた。その結果、21世紀初頭頃から台湾各地での“文化創意産業”の確立と広がりの動きがみられるようになった。

 その中で、日本統治時代から残され続けている建物の改修に伴った新たなリノベーションスポットとして、観光客を含むさまざまな人々にとっての「歴史的学習・娯楽」の施設が生み出されている。今では観光地として名の知れたリノベーションスポットがいくつも存在するが、それらは単なる「歴史的学習・娯楽」の施設ではない。台湾において、リノベーションスポットとは“ワンストップ・ショッピング”が可能な施設であり、”文化創意産業”に大きく貢献している。

 ただし、調査を通して、リノベーション施設で食事やショッピング、イベントを楽しむ人々に比べ、施設に関する歴史展示やパンフレットに興味を示して足を止める人が少ないことに気がついた。このような現状では、建物のもとの姿が忘れ去られると同時に古い建物をリノベーションした本来の意味も忘れ去られてしまう可能性も否定できない。今後は、リノベーションスポットを通して歴史的記憶を後世に伝えていく努力が必要になるのではなかろう。

 

参考資料

赤松 美和子 2022『台湾を知るための72章』明石書店

陳 柔縉 2020『台湾博覧会1935スタンプコレクション』東京堂出版

 

※各リノベーションスポットのパンフレットも参考にしている

 

[1] リノベーション施設として開放された年を指す

[2] 【CAMA COFFEE ROASTERS 豆留文青】松山文創園區の古蹟をリノベーションしたカフェ | 台湾の風 2023年5月7日閲覧

[3] 3-2-5で示す、期間限定の生活雑貨店舗は除く。

[4] 「16工房」という名前であるが、調査時は16以上のショップが入店している。

[5]知音文創 Jeancard|文具禮品、生活家居 2023年5月7日閲覧

[6]【台湾】台北観光の新定番!おしゃれなリノベスポットをぐるり|るるぶ&more. 2023年5月7日閲覧

[7] 台湾のレジ袋削減政策、来年1月から拡大 台湾名物のドリンクスタンドも対象に - 台北経済新聞 2023年5月7日閲覧

[8] 台湾ビールグラスのサイズが一杯143mlの理由 : メイフェの幸せ&美味しいいっぱい~in 台湾 2023年5月7日閲覧

[9] 西門紅楼 シーメンレッドハウス | The Red House 2023年5月7日閲覧

[10] Not Just Library / J.C. Architecture + Motif Planning & Design
Not Just Library / J.C. Architecture + Motif Planning & Design | ArchDaily)2023年6月10日閲覧

[11] 「注目の台湾!台北のリノベーション事情を現地で探る」小倉ちあき(https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_00742/)2023年2月24日閲覧

[12] Yahoo!ニュース「台湾情勢理解に見るべき台北の日本家屋が刻んだ歴史」青山佾 (https://news.yahoo.co.jp/articles/3c47fbb9fbe2c6c740c72fe28e5c9830ba046926/images/002) 2023年7月2日閲覧

客家花布と茄芷袋からみるMITの多様化



 

内藤 彩耶 

長坂 桃子 

 

1. はじめに

 地球の歩き方(2018年度版)によると1MIT(メイドイン台湾)は数年前から台湾の若者の中でブームになっているという。特に客家花布と茄芷袋はレトロなデザインで台湾土産の定番として知られており、客家花布はかわいらしいデザインが特徴的であるため女性からの人気が高い。茄芷袋は、おでかけ用のバッグとして着目され始めたことをきっかけに観光客の中でも人気が高まり、今や台湾旅行でのマストバイアイテムにもなっている。 

 その一方で、現地で客家花布と茄芷袋に目を向けてみると、用途やデザインの点で多様化していることがわかる。以下では、その実態について報告したい。

 

2. 客家花布 

2-1 客家花布とは 

 2002年に台湾客家委員會が客家文化とイメージ向上のために台湾伝統花布を客家の花布産業として採用した。客家花布は現在、北部の客家荘のイベントで、一般的に使われている。それを通じて、「台湾伝統花布」=「客家花布」という認識が生まれた(台湾客家委員會、2011)。 

 こうして、台湾伝統花布は客家文化の代表的なイメージに変わり、文化の借用と使用を通じて再び人気のある伝統工芸になっている。ガイドブックでは台湾伝統花布ではなく、客家花布と表記されている(JTBパブリッシング2022)。台湾花布、被単布(布団カバー)、花仔布(花の布)、大紅花布(真っ赤な花布)、阿婆仔布(おばあちゃんの花布)と呼ばれるものは、全て台湾伝統花布にあたる(陳、2018)。ガイドブックでは客家花布と記述されるため、本稿ではそれにならい、以下、客家花布と呼ぶ。 

2-2 客家花布の調査 

 2023年2月22日に、迪化街の永樂市場にある台湾一大きな布地問屋街「永樂布業商場」を訪れた。1階には食品市場やレストランなどが並んでおり、2・3階には布地やボタンなどを取り扱う問屋が約200店舗立ち並び、主に客家花布やチャイナドレスの生地、それらの布で作られた雑貨などが売られている。また3階には仕立屋があり、問屋で購入した布地でオリジナルの服やバッグを作ってもらうことができる。 

 MRT(地下鉄)の北門駅から永樂市場に向かう間にも、客家花布を多く取り扱う布地専門店がある。佛坤布行、耀隆城布行、知藝服装材料などの店では、いずれも騎楼と呼ばれる半屋外の空間で客家花布の布地が売られている(画像1)。 

 

画像1:佛坤布行の客家花布

 

続いて、MRT中山駅の地下街に位置する李品製作所を訪れた。李品製作所は客家花布を使用した雑貨や小物を多く取り扱っており、手縫いのオリジナル商品が特徴である。 

 李品製作所では、キーケース(NT$120)や小物入れ(NT$150)、がま口ポーチ(NT$299)といった小物から、傘(NT$299)やワインなどのボトルに被せることができるボトルケース(NT$499)のような一風変わった商品も取り扱う。 

 李品製作所のような客家花布を専門的に取り扱う店舗以外にも、ほとんどの土産店や雑貨店が客家花布を使用した雑貨や小物を販売している。 

 中山にある雑貨店雲彩軒では、ハンカチ(NT$150)や巾着袋(NT$100)、ストラップ(NT$150)、コースター(NT$150)などが売られており(画像2)、店舗全体の商品のうち、3割ほどが客家花布に関連する商品である。 

 永康街にある土産店來好では、地下1階の一角に客家花布関連の売り場があり、キーケース(NT$180)やポケットティッシュケース(NT$150)、クリーナークロス(NT$120)などを販売している。 

 同じく永康街にある土産店Bao giftでは、ポーチ(NT$150)や巾着袋(NT$60)、トートバッグ(NT$380)、コースター(NT$150)、缶バッジ(NT$50)などが売られており、品数は多くないものの、定番の客家花布雑貨が取り扱われている。 

 

画像2:雲彩軒のハンカチ

 

上記の商品のように、客家花布自体を利用して多様化した商品だけでなく、客家花柄を活用した雑貨や小物も多く目にした。 

 先述した來好には、客家花柄を活用した商品として、付箋(NT$100)やマスキングテープ(NT$80)、クリアファイル(NT$100)などの文房具が取り扱われている(画像3)。 

 また、中正紀念堂の1階にある土産店亞熱帯では、客家花柄があしらわれた茶器がいくつも売られており(画像4)、他の雑貨屋や土産店よりも陶器類の取り扱いが多い。 

 

画像3:來好のマスキングテープ

画像4:亞熱帯の茶器 

 

 3. 茄芷袋

3-1 茄芷袋とは 

 茄芷袋という名前は「かぎ編み(ka-gi-a-mi)」と呼ばれるイグサの編み方を指す日本語に由来している。その発音から、台湾人には「ka-tsi」と呼ばれるようになった。「ka-tsi」を書式で表す際に用いられた漢字が「茭薦」や「茄芷」であり、その中でも最も一般的に使用されたものが「茄芷」だとされている(台灣烏腳病醫療紀念園區、2021)。現在では、台湾の政府と民間機関のほとんどが主な名称として「茄芷袋」を使用している(來好、2020)。 

 茄芷袋の歴史は、台南市後壁区菁寮里から始まったと言われており、台湾の元祖エコバッグとも呼ばれる(ibid.、2020)。元々はイグサで手編みされていたが、台湾の工業化に伴い、現在よく見られる三色ナイロン網布に変化した(画像5)。その理由として、プラスチック製品が大量に生産されるようになったことで、カビになりやすいイグサから、耐水性があり丈夫で持ち運びしやすいプラスチックナイロン布に変化したことが挙げられる。一般的に買い物バッグとして使用されていて、台湾社会においては生活必需品である(ibid.、2020)。 

 台湾で本土文化が重視されるようになるにつれ、茄芷袋は単なる日用品でなく、台湾の象徴になっていった(台灣烏腳病醫療紀念園區、2021)。近年はそのレトロさに注目が集まっており、人気のお土産のひとつである5茄芷袋デザインの悠遊卡(交通系ICカード)が発行された際、日本人観光客好みの商品であると紹介されるほど、特に日本人の台湾土産として茄芷袋の人気が高いようだ 

 

画像5:茄芷袋の説明文(中正紀念堂の土産店TAIWANcornerにて撮影) 

 

3-2 茄芷袋の調査 

 東呉大学に通う台湾人学生6名に茄芷袋のイメージについて尋ねた。6名の学生はいずれも20歳前後であり、女性が5名、男性が1名だ。彼女らにとっての茄芷袋の印象は、中高年層が買い物に行く際に持つものであるといい、特に迪化街で沢山売られていると教えてもらった。迪化街を訪れ、茄芷袋を使用している人を探した。 

 2023年2月22日の13時頃、北門駅に向かうMRTの電車内で茄芷袋を持った女性を見かけた。女性は30代とみられ、赤・青・緑の三色の縞模様の茄芷袋を買い物袋として使用していた(画像6)。 

 同日13時半頃からの30分間、迪化街にて通行する人々のバッグに注目したところ、40~50代とみられる女性4名と30代とみられる男性1名が茄芷袋を持ち歩いていた。女性2名と男性1名は赤・青・緑の三色の縞模様の茄芷袋を持っており、残りの女性2名は赤・黒の二色の縞模様の茄芷袋を持っていた。いずれも買い物袋として使用していた。 

 2022年2月23日の17時半頃には、嘉義駅の新幹線ホームにて、50~60代とみられる男性が茄芷袋を持っているのを見かけた。男性が持っていた茄芷袋はB5サイズほどの大きさの赤・青・緑の三色の縞模様で、サブバッグとして使用していた(画像7)。 

 2日間茄芷袋を持っている人が7人いた。このように茄芷袋は台湾で身近に使用されている。また、茄芷袋は中高年が持つというイメージがあると先述したが、実際に調査を行った2週間の間で、実際に若者が茄芷袋を持つ姿は一度も見られなかった。 

 

画像6:茄芷袋を使用する女性

画像7:茄芷袋を使用する男性 

 

 さらに、迪化街にて茄芷袋が販売されていた髙建、竹木造咖、勝隆行、林豊益商行という4店舗を訪れ茄芷袋を比較したところ、それぞれの店舗で異なる特徴がみられた。 

 髙建は、4店舗の中で茄芷袋の品数が最も多く、大きさもA5サイズほどの小さなものからB3サイズほどの大きなものまで幅広く売られている(画像8)。竹木造咖は、全ての茄芷袋に自社のタグが付いており、自社オリジナル商品が特徴的である。勝隆行は、4店舗の中で唯一の土産店であり、他店と比較すると品数は少ないが、赤・黒の二色の縞模様の茄芷袋が多く取り扱われている(画像9)。林豊益商行は、竹製品の専門店のため、茄芷袋の品数は少なく、取り扱っている柄は赤・青・緑の三色縞模様、赤・黒の二色縞模様、白・黒の二色縞模様の3種類ある(表1)。 

 このように、茄芷袋は多様な柄とサイズの種類が生産され、日常的に市民が愛用していることが分かった。また、最も一般的な柄は赤・青・緑の三色縞模様、続いて赤・黒の二色縞模様だと言える。 

 

画像8:髙建の茄芷袋

画像9:勝隆行の茄芷袋

 

表1:各店舗の特徴 

店名 

特徴 

髙建 

サイズ、柄の種類ともに多い 

竹木造咖 

自社オリジナル商品 

勝隆行 

柄の種類が多く、品数が少ない、唯一の土産専門店 

林豊益商行 

柄の種類、品数ともに少ない 

 

 客家花布と同様に、茄芷袋も素材やデザインを活用した雑貨や小物が多く売られている。以下では、ナイロン網布素材を活用したものと、縞模様のデザインを活用したものに分け、茄芷袋を活用した商品が最も豊富に売られていた來好の商品を取りあげ、その特徴について述べる。 

 はじめに、茄芷袋のナイロン網布素材を活用した商品については、赤・青・緑の三色の縞模様のナイロン網布素材を活用した商品として、リュック(NT$1760)、水筒バッグ(NT$230)、ペンケース(NT$250)などがあげられる(画像10)。また、赤・青・緑の三色の縞模様ではないため、デザインは茄芷袋とは異なるが、フラワー漁師網バッグ(NT$690)、化粧ポーチ(NT$490)、三角コインケース(NT$290)など、ナイロン網布素材を活用した商品も多く見られる(画像11)。 

 ナイロン網布素材は撥水性が高く、手軽に洗うことができるため、汚れやすいペンケースや化粧ポーチなどに活用されると予想できる。 

 

画像10:ペンケース 

画像11:化粧ポーチ

 

 次に、茄芷袋の最も一般的な柄である赤・青・緑の三色の縞模様のデザインを活用した商品は、來好では「漁師網柄」という名前でまとめられている。これらの商品については、革製バッグ(NT$6680)やトートバッグ(NT$1240)、巾着袋(NT$310)、化粧ポーチ(NT$390)、吸水コースター(NT$150)やノート(NT$120)、A5クリアファイル(NT$80)、えんぴつ(NT$99)など、様々な種類の商品がある(画像12)。また、赤・青・緑の三色の縞模様ではないが、黄・緑・赤の三色の縞模様と藍・白の格子柄のマスク収納ケース(NT$80)も、「漁師網柄シリーズ」のひとつとして売られている(画像13)。 

 

画像12:吸水コースター 

画像13:マスク収納ケース 

 

4. まとめ 

 客家花布と茄芷袋は実際に台湾の人々にとって身近なものとして日常的に使用されており、茄芷袋はその物持ちの良さと耐水性から、バッグだけではなく、筆箱や化粧ポーチなどの用途がある。また茄芷袋特有の三色模様に注目した鉛筆、ファイルなども販売されている。客家花布は華やかな布地を利用した生活雑貨が多くあるだけでなく、そのデザインのみを活用した文房具や茶器も見られる。 

 土産として売られている多様化した商品は、どちらも特徴的な柄や素材を活かして、より日常的に利用しやすいものへ進化していることが分かる。 

 

参考資料 

JTBパブリッシング旅行ガイドブック(編)2022『るるぶ 台北’23』JTBパブリッシング 

内藤哲宏台北 台湾 街に生きる レトロ建築( 2011年12月2日)」中日新聞・東京新聞記事データベース 2023年4月17日閲覧

「台湾まるごとガイド」(https://jp.taiwan.net.tw/att/files/TaiwanMarugotoGaido2023.0302.pdf )『交通部観光局-台湾観光情報ネット』 2023年4月17日閲覧 

UNFCCC締結国会議、トラムのラッピング広告で台湾アピール - 台北駐日経済文化代表処 Taipei Economic and Cultural Representative Office in Japan 2023年4月17日閲覧

〝客家花布〞?〝臺灣花布〞?的設計文化現象研究 | 客家委員會全球資訊網 2023年4月18日閲覧 

茄芷袋怎麼來?三分鐘搞懂台灣茄芷袋由來| 來好台灣選物『來好』2023年4月17日閲覧 

台灣烏腳病醫療紀念園區 - 【茄芷袋的前世今生】 #買不起LV沒關係 #我們有台灣LV...2023年6月26日閲覧 

台湾の「変な日本語」の考察

 

石川玲渚

福井和樺

 

1.はじめに

 インターネット上で台湾の街中で見かける日本語がしばしば「変な日本語」として取り上げられている。特に「の」を好んで使用されることが述べられている記事が少なくない。

 そこで、現地でこうした日本語話者にとっては「誤用」に思えてしまう「変な日本語」について詳しく述べ、台湾における日本語の在り方について考察することにした。

 

2.「の」 

 台湾人にひらがなの「の」は非常に人気なようで日本語でいう「の」にあたる助詞として、中国語では「的」や「之」が使われる。『訪日ラボ』によれば*1、「の」は一画で書けるのに対し、「的」は8画、「之」は3画であり画数の少なさ、そして見た目の可愛さから多くの台湾人に好まれているようだ。 

 調査により、「の」が用いられる事例が合計103例中64例もの数がスーパーマーケットや食料品店にあり、さらに半数以上がお菓子売り場の商品名で使われていることがわかった。また、以下の4つのカテゴリーに分類してみた。 

 

A.中国語と中国語の間に「の」が使われているケース 

(例)「春暖の購物金」、「關山の便當」 

 

B.文法面でも誤りが見られなかったケース 

(例)「鍋の名物」、「職人の味」、「米の菓子」 

 

C.活用に問題が感じられるケース 

(例)「一番安いの店」、「不敏感の刃歯美白」 

 

D.「の」で終わるケース 

(例)「あこがれの」、「恥知らずの」、「麗の」 

 

 

 

 まずAのケースは、特に街中の看板や商品名などで多く見受けられる。「の」以外は全て中国語で用いられていたり、少し不自然な日本語で書かれてあったりなどさまざまである。 

 また今回Aで例に挙げたものの場合、「春暖の購物金」は「春のショッピング」、「關山の便當」は「関山の弁当」の意味であり、「の」が入っていることでおかしい文章になっているというわけではない。 

 他に、「栗の郷」、「純の乳」、「御の味」などといった漢字一文字と漢字一文字の間に「の」を入れるという構成が15例ほどあった。真ん中に置くことでより人々の目に止まるようにされているのかもしれない。さらには、「日本」、「日式」の文字の後に「の」が書かれている看板や商品も多く存在し、日本のものであることが強調されている(画像1)。 

 

画像1

 

 続いてBのケースでは、一見日本にありそうなキャッチフレーズや言葉が多いが、商品の裏に書いてある産地を見てみるとどれも台湾であった。「鍋の名物」や「職人の味」は商品説明に、また「米の菓子」は商品名にそれぞれ書かれていた。 

 次にCのケースでは「一番安いの店」、「不敏感の刃歯美白」(画像2)の2例を挙げる。1例目は「安いの店」より「安い店」というように「の」を省いた方が適切だ。また2例目の「不敏感の刃歯美白」は、そもそも理解が容易ではないものではあるが、それでもやはり「敏感」を形容動詞と捉える場合「不敏感な歯ブラシホワイトニング」とするのが普通であろう。この2例はどちらも「的」と「の」が単純に互換可能だと考えている人が多いのではと考えられる。しかし「我的」と「幸福的家庭」を例に挙げると「我的」は「私の本」、「幸福的家庭」は「幸せな家庭」という日本語が適切であり、必ずしも「的」は「の」と訳されるわけではない。 

 

画像2

 

 さらにDのケースにおいて、日本では「の」で終わる言葉は見かけないが、これらも「的」と「の」の使い方で混同が生じていると思われる。「是他的(この本は彼のものです)」などの例は「的」で文章が終了している。これは「是~的」構文と言い、間にある「他(彼)」を強調する構文であり「的」が最後に付く*2。なお下記ウェブサイトでさまざまな用法が挙げられていたが、どれも今回挙げた例には当てはまらない。   よって、「あこがれの」(画像3)、「恥知らずの」、「麗の」の3例は「の」を付けることで前の言葉を強調させるためかもしくは意味が通るか通らないかに関係なく使用されているのではないかと考えられる。 

 

画像3

 

3.誤字脱字 

 調査では、夜市の看板やメニュー表、スーパーマーケットや食料品店の商品の説明書きに日本語の誤字脱字が多くみられ、その数は両者合わせて69例中41例であった。これらを5つのカテゴリーに分類してみた。 

 

A.類似文字により誤っているケース 

・カタカナ・・・「ツ」、「シ」、「ン」、「ソ」、「リ」、「ク」、「ワ」 

・平仮名・・・「ろ」、「る」、「め」、「ぬ」 

・変換ミスと予想できるもの・・・「リ」、「り」 

(例)エビと卵のチャーハンを「えび卵ちやーはそ」 

・小文字を大文字で表記 

(例)「ビスケツト」、「いつしよ」、「コシヨウ」 

 

B.文字や濁点、半濁点が不足しているケース 

・文字の不足 

(例)「ブラックペパー(ブラックペッパー)」、「マッサー(マッサージ)」、「ピーナッ(ピーナッツ)」 

・濁点の不足 

(例)「きめつのやいは」、「人気ブラント」、「ゆす」 

・半濁点の不足 

(例)「フレミアムケア」 

・濁点と半濁点を混同しているケース 

(例)「バイナツブル」、「てんぶら」、「すばい」 

 

C.記号の表記が混同しているケース 

・長音記号の位置の誤り 

(例)「ケ_キ」 

・横書きのときに“|”を、縦書きのときに“ー”を使用する長音記号の向きの誤り 

(例)「エネルギ|」 

 

D.ふりがなや読み、送り仮名を誤っているケース 

・ふりがなの誤り 

(例)「豚(ひつじ)」 

・日本語としての読みの誤り 

(例)「柚子(ゆうず)」 

・訓読みするべき言葉が音読みされている誤り 

(例)「大判焼き(だいばんやき)」 

・中国語の発音を日本語で表記 

(例)「蚵仔煎(オアジェン)」、「臭豆腐(ちょうとうふ)」 

・送り仮名の誤り 

(例)「細いらかい」 

 

E.その他 

・音が似ている字の誤り 

(例)ニンジンを「リンジン」、チキンを「イキン」 

・意味が伝わらないカタカナ言葉 

(例)「ブラッワホィ_ル」 

 

 まず、Aのケースで代表的なものはカタカナの「ツ」、「シ」、「ン」、「ソ」である。看板に使われる文字は看板を作成する際に字の形が似ていたため、間違えていることに気づいていない場合もある。また、手書きの商品名における間違いは日本語を書き慣れていない台湾人が書いているため、「ソ」が「ン」になっていると想定できる(画像4)。例にあげた「えび卵ちやーはそ」の平仮名をカタカナで書くと「エビ卵チヤーハソ」となる。これは「チャーハン」の「ャ」が大文字に、「ン」が「ソ」と間違えたことで生まれた言葉なのではないかと考えられる。 

 

画像4

 

 次にBのケースで代表的なものは促音の欠落や誤使用である。台湾にはマッサージ店が多くあり、どの店も扉や看板に日本語で料金表が書かれている。これらは正しく「マッサージ」と表記されている店がほとんどだが、なかには「マツージ」、「マツサージ」、「マシサージ」のように文字が不足していたり、Aのケースのように小文字と大文字が間違っているものも見受られる。また、濁点と半濁点が混ざって使われているものも多々ある。 

 続いてCのケースで代表的なものは長音記号の不足や表記の誤りで、この中でも特に多かったものが長音記号の向きの誤りである。画像(5-1、5-2)のように同じ商品でも縦書きと横書きで同じ書き方がされていることから、長音記号をカタカナの一つとして扱っているのではないかと考えられる。 

 

画像5-1

 

画像5-2

 

 Dのケースで例にあげた「豚」を「ひつじ」と記載していたお店にはもうひとつメニュー表があった。そこには正しく「豚(ぶた)」と書かれており、他の商品名も特に間違った日本語はなかった。また、街を歩いていて見つけたお店にはお店の名前を平仮名で書いたのれんが一文字ずつかかっていたが、それらは漢字の読み方とは異なった順番であった。さらに『漢文と東アジア』(金、2010)によると「音読みが、呉音、漢音、唐音のいずれであれ、その起源が中国語の発音にあるのに対して、訓読みはその漢字の日本語の意味で漢字を読むことを指す」という。つまり、例に挙げた「大判焼き」は日本語では訓読みで「おおばんやき」と読むが、中国語では音読みで読むため「だいばんやき」だと思い、誤ったふりがなが書かれたと思われる。さらに読みの正しさとは関係なく、字を一つ一つ調べて出てきた日本語を書いた可能性も考えられる。 

 最後にEのケースであげた、ニンジンを「リンジン」、チキンを「イキン」と語頭が誤って書かれている理由として、その文字の音だけで判断したからではないかと想定できる。「ニ」と「リ」、「チ」と「イ」は同じ母音であり、日本語を聞き慣れていない人からすると間違える可能性はあるといえる*3 

 

4.不自然な日本語 

 最後に夜市の看板で多く見られた不自然な日本語について述べる。これらは日本語話者から見て意味は伝わるが、文章に違和感があるものがいくつかある。こう感じる背景として、日本語と中国語はほぼ同じ漢字を使用しているため、日本語は難しくないと思い込んでいる人が多いからだと考えられる*4 

 調査により、全体116例のうちスーパーマーケットや食料品店に44例、夜市の看板やメニューに33例、土産屋などの店内に24例あった。「の」と誤字脱字に比べて全体の数が多く、比較的どのような場所でもみられる。不自然な日本語に誤字脱字がみられることもあるため一部重複している部分はあるが、以下にて文法の誤りと不完全な文章の2つのカテゴリーに分類できる。 

 

A.文法の誤り 

・助詞の間違いや不足 

(例)「便器に踏まないで下さい」、「人気必ず攻略」 

・活用が誤っている 

(例)「選ぶしてください」、「お名前刻みつける」、「水道管が古いで」 

・尊敬語の使い方が誤っている 

(例)「お使用しており」、「お使います」「置いていただければよろしいです」 

 

B.不完全な文章 

・語順が誤っている 

(例)「品質が安心して」(画像6) 

・言葉が重複しているもの 

(例)「大だい」、「スリッパは滑りやすく、滑りやすいので・・・」 

・意味が伝わらないもの 

(例)「日本に源を発します」、「大きなイカを爆撃する」 

 

画像6

 

 まず、Aの文法に関して中国語には自動詞と他動詞の使い分けがないため*5、これらの区別ができていないことがいえる。例にあげた「便器に踏まないで下さい」は助詞を「に」から「を」へと他動詞にすることで完全な文章にすることができる。また、「水道管が古いで」は日本語の形容詞の連用形と助詞「で」の使い方を理解していないために誤っていると考えられる。 

 次にBの「品質が安心して」は日本では「安心な品質」と書き換えられる。日本で使われる「安心」とは名詞ではそのまま、形容詞は安心な、動詞は安心する、副詞は安心してなどがある。日本語は言葉の後に文字を1つや2つ追加するだけでさまざまな用法で使うことができるため、その簡単さが反対にややこしくさせてしまっているかもしれない。 

 

 

5.まとめ 

 台湾ではスーパーマーケットなどの食料品店、夜市の看板やメニューなど多方面にわたって日本語が使われており、「変な日本語」が多くみられる。それらを「の」、誤字脱字、不自然な日本語の3つの項目に分類し、考察した。台湾で使われている日本語にはさまざまなエラーが見受けられるが、ウェブサイトの『現代台湾における日本語語彙語の受容性』によると*6、「日本語語彙が間違って使われるときも多いが多くの人は読めないので別に気にしない」という。日本語の正誤とは関係なく、そもそも日本が好きで使用している人が多いのはありがたいことである。 

 

 

参考文献 

金文京(2010岩波新書『漢文と東アジア―訓読の文化圏』 

*1:『台湾人に愛されるひらがなの「の」:日常的に使われるのは「かわいくて便利だから」(2019年8月23日)』訪日ラボ編集部『訪日ラボ』2023年5月1日閲覧

*2:中国語「的」の意味は?覚えると便利な20例|発音付(2018年10月29日)』三宅裕之『中国ゼミ』2023年5月1日閲覧

*3:「ニ」は台湾語で「リ」と発音するため、その影響を受けている可能性もある。

*4:

中国人日本語学習者が間違えやすい表現について(2003年10月28日)」王国華『北陸大学 紀要 第27号(2003)』2023年6月20日閲覧

*5:

外国人が混乱する日本語/外国人が間違えやすい日本語の表現は?中国人/韓国人/英語圏の人のアクセント・発音・文法の注意点(2021年4月20日)」トラウマウサギ『日本語教育/幼児教育 覚書 ホーム』2023年6月20日閲覧

*6:

 「現代台湾における日本語語彙語の受容性(2007年)」杜岱玲・新居田純野『台湾大葉大学応用日本語学科』2023年5月1日閲覧

台湾原住民族の若者たち ―言語とアイデンティティ―

 

黒田楓花

鈴木萌子

 

1.はじめに

 台湾原住民族は戦前日本に統治され、戦後は台湾政府が原住民族に対し同化政策を行うなど不当な扱いを受け続けてきた(山本ほか,2004)。しかし近年では、多文化主義的政策の下、それぞれの民族の言語や文化に対する尊重と、それらを保存していくための取り組みが行われている。そこでインタビューを通し、現在の台湾原住民族のアイデンティティや言語状況を知り、今後のエスニックグループの在り方について考えていく。

 

 

2.WalawさんとWasangさんからの聞き取り

2-1 崋山1914文創園区のイベントとWalawさんとの出会い

 私たちは2023年2月18、19日に崋山1914文創園区で開かれた世界母語デーのイベントを訪れた。言語フェスティバルには原住民族諸語、客家語といった言語関連のブースや、原住民族料理が並べられている屋台もいくつかあり、会場は多くの人で賑わっていた。

 このフェスティバルに、原住民族諸語について研究や教育を行っている「財團法人原住民族語言研究發展基金會」が出展しており、ブースにはパンフレットや原住民族諸語教育に使われる本が並んでいる(画像1)。 また、イラストや様々な言語が載ったパネルを見せてもらった。これは主に幼児から小学生低学年向けのもので、ペンでタッチすると音声や音楽が流れてくる(画像2)。

 

画像1:言語に関する本が並べてある様子

    

画像2:音声が流れるパネル

 

 このブ-スの中で日本語が話せる台湾人のWalawさんという男性と出会った。Walawさんは「コロナ禍が明けて久しぶりに外国人と交流が出来て嬉しい」と私たちを歓迎してくれた。私たちはWalawさんからお話をさらに聞くために後日基金会へ伺い、Walawさんの同僚であるWasangさん (女性)も交えて、2人に日本語でインタビューをした。なお、2人の表記は共にアミ語の名前であり、興味深いことにWalawさんは原住民族ではなく閩南人である。


 なお財團法人原住民族語言研究發展基金會(以降「基金会」と表記)は、中世紀念堂駅出口の近くにあり、主に台湾の原住民族が使用する言語の研究や言語教育による復興活動、言語辞書や言語検定の開発・編集などを行う組織である。未だ解明されていない言語も存在し、同族の中でも使用形態が異なることなど複雑であるため研究は続いている(画像3)。

 台湾原住民族諸語の分け方や名称は、政治・行政的分類や文化人類学的分類、言語学的分類などによって異なるだけでなく、日本統治時代、中華民国時代などと時代によっても分けられている。さらに、研究者が言語の類似性や口頭伝承によって系統的に分類するものもある。(日本順益台湾原住民研究会,1998)。

 

画像3:基金会正面

 

2-2 WasangさんとWalawさんの生い立ち

 Wasangさんは台東県で生まれて、幼稚園児の頃に桃園市に移り住んだ。台湾の四大族群の中では、原住民族に属する。Wasangさんも祖母に教えられて日本語を話すことができる。

 大学は東華大学に進み、原住民族に関する研究をした。さらに“アミズ生徒会”と言うサークルに属しており、原住民族に関わる活動をしていた。今でも毎年地元の祭りに参加するなど伝統行事を大切に考えている。

 アミ語は小さいころから家族と話しているうちに自然と身についたそうだ。しかし日常会話では北京語を使用するので、「アミ語を忘れてしまいそう」「故郷に帰って年上の人と話すときは間違えたら指摘されるから少し緊張する」と笑いながら語っていた。Wasangさんは小さい頃から原住民族である意識を強くもっている。そして原住民族に関わる仕事がしたいという思いから、現在の基金会に携わることになった。

 Walawさんは宜蘭県で生まれ育ち、台湾の四大族群の中では閩南人に属する。祖父から日本語を学び、話すことが出来る。台湾大学への進学で台北に移り住み、大学院を修了している。

 Walawさんが非原住民でありながら、原住民族について強く意識を持つようになったのは、大学4年の卒業後に行った台湾一周旅行で、アミ族の豊年祭に参加したことがきっかけだそうだ。「台湾の中でもこんなに文化が違うのかと発見があり、もっと知りたくなった」と語る。そこからWalawさんはアミ語の勉強を始め、言葉を交わすことの楽しさや文化の面白さに気が付く。そして多くの人の助けになればという思いから、基金会に携わることになった。 当時は家族や周りの人に原住民族諸語を話せる人はおらず、独学で苦労したこともあったそうだが、現在では言語検定で「高級」を取得済みである。(後述)

 

2-3 言語検定とその現状                              

 台湾には原住民族諸語の能力試験がある。4月と12月に言語検定を開催しており、初級-中級-中高級-高級-優級の5段階評価を行う。そして基金会も言語検定対策の教材作りを行っている。この検定は原住民族であれば、一定の成績を取得すると大学試験においてプラス評価される制度などもあるようだ。また、非原住民や外国人でも受験することができる。非原住民はあくまで自分の言語能力を測るためや、原住民族の文化を知るために言語を学びたいなど受験をする理由は様々だ。

 年間受験者数は例年1万~2万人ほどで、昨年の合格者はその約4分の1である。Walawさんは「この合格率は高いほうだ」と言っていた。また、受験者の中では学生が目立つ。これは上記に述べた、受験でのプラス評価制度が関係しているのではないかと考える。男女比はおよそ4:6とやや女性が多く、合格者も女性のほうが多数派だ。加えて原住民族と非原住民の受験者数の割合は8:2と、非原住民の受験者は少ない。しかし、受験者数が増加傾向であること、また自分と違う文化に興味を持つ非原住民が増えてきていることから、言語検定の非原住民の割合は今後多くなる可能性があると推測する。また学校教育現場や職場での需要が増えれば、受験者にとってのメリットになり、原住民族諸語を守っていくことにもつながると考える。

 

2-4 原住民族諸語の使用状況

 原住民族諸語の使用はこれまでの歴史的背景により、現在の親世代以降が日常会話として使用することがなくなっている。中には、祖父母が日常会話で使用している影響で、原住民族諸語が身について育った人もいるが、言葉は聞き取れても自分で話すことや読み書きすることは困難であったり、多くの人が自分の属する原住民族諸語を正しく理解できていなかったりするそうだ。

 だが、Wasangさんは「最近言語に対する認識が高まってきて、子供に対する言語の教育が表れ始めている」という。「だからこそ我々がもっと子供に対しての教育などを頑張っていきたい」とも語ってくれ、原住民族の文化や言語の在り方がこれから変わろうとしているのではないかと感じた。

 

2-5 仕事のやりがい

 WalawさんとWasangさんは基金会で主に言語研究やレポート作成を行う。言語は常に変化するものであり、原住民族諸語を広く扱うために多忙な毎日を送る。仕事内容の一部として、例えば原住民族が暮らす集落に直接出向き、実際に話される言語を録音し研究に当てる作業などがあるそうだ。つらいと感じる仕事もあり、Walawさんらの上司の指示と現地の原住民族の要望が噛み合わない時が苦労すると語っていた。それでも集落に出向き、現地の人と会ってコミュニケーションを取ることが何よりの楽しみであり、2人にとってのやりがいとなっている。

 

2-6 2人の今後について

 Wasangさんは毎年夏休みに台東県で開催される豊年祭に参加し、お年寄りの方に交じって歌やダンスを学んでいる。Wasangさんも「中高級」まで取得しており、言語の勉強に熱心だ。「これからもっと勉強を頑張って『高級』を取りたい、もし試験が通ったら先生になって小さな子に向けて教えてあげたい」と目標を語ってくれた。

 Walawさんは現在、社会人向けに原住民族諸語の学習ボランティアをしたり、7~8月頃に花蓮県で開催される豊年祭に毎年参加したり、原住民族文化継承にもとても献身的だ。言語の勉強はWalawさんにとって趣味でもあり、「これからももっと他の言語(原住民諸語の1つであるクバラン語)を学びたい」と言語に対する熱い思いをお聞きすることができた。

 

 

3.PaletjuさんとLjaljavaからの聞き取り

3-1「LiMA旗艦店」について

 私たちは台湾永康街の「LiMA旗艦店」を訪れた(以降「LiMA」と表記)。LiMAは台北に2店舗あり、永康街の店舗は、2022年の10月5日に開店したばかりだ(画像4)。「TAIWAN TODAY」によると*1、原住民族委員会が創設しており、アクセサリーや衣服、食料品まで豊富な種類の原住民族商品を取り扱っている。客層は主に学生、観光客が多く、台湾原住民族に興味があって訪れたり、エスニックっぽい柄に惹かれてやって来たりする客もいる。

 

画像4:LiMA正面

 

 LiMAを訪れると店員1人とアルバイトをしている学生が2人いて、この3人の方は皆パイワン族出身である。2人の学生がインタビューを引き受けてくれることになり、Paletjuさん(男性)は東呉大学の学生の通訳を通して、Ljaljavaさん(女性)は都合が合わなかったため、後日Instagramを通してインタビューを行った。なお、2人の表記は共にパイワン語の名前である。

 

3-2 Paletjuさんの生い立ち

 Paletjuさんは今年の1月からLiMAで働いている。原住民族雑貨店に興味を持ったことと、幼馴染であったLjaljavaさんからの誘いを受けたことがきっかけだ。Paletjuさんの地元は昔パイワン族の集落があったとされる屏東県にある。両親共にパイワン族であるが、集落はそれぞれ異なる。

 現在は国立師範大学に通っており、教育学部に所属し地理を専攻している。言語検定を受けた経験はあるが大学受験ではプラス評価制度は使わずに、師範大学が自分の学力レベルに合っていたことと、教師を目指していた理由でこの大学を選んだ。

 彼はパイワン語を話すことはできないが、聞き取ることはできるという。また、今の若者世代は原住民族諸語を聞き取ることはできても、話すことは出来ないと言っていた。彼の周りの友人もそれぞれ原住民族諸語を学んでいて、文化を知りたいなど興味を持って勉強する人もいれば、親戚関係の人と会話が出来るようになりたいなど、原住民族諸語を学ぶ目的は様々なようだ。

 

3-3 Ljaljavaさんの生い立ち

 Ljaljavaさんも国立師範大学に通っており、教育学部に所属し歴史を専攻している。大学では第2言語として日本語を履修している。

 Ljaljavaさんは小学生の頃からパイワン語を少し話すことができ、現在も故郷に帰った際は家族とパイワン語で会話をするそうだ。しかし、普段は使う機会があまりないので基本的に使われる単語しか理解できないという。文字は読むことが出来るが、その言葉の意味まで理解することも難しい。

 中学生の時には言語検定を受けた経験があり、「中級」まで取得している。現在でも周りにいる友人たちが原住民族諸語を勉強しており、それぞれが自分の部族の文化を伝承するために言語を学んでいると教えてくれた。

 

3-4 2人の今後について

 現在PaletjuさんとLjaljavaさんは大学内のサークル“原住民研究社”の活動に参加しており、原住民族の踊りや自分たちで企画したコンテストなど毎年様々な活動を行っている。

 Paletjuさんは自分の将来について、地元の屏東県に戻って教員になることを考えており、そこで必要となるパイワン語の「中高級」を目指して勉強に励んでいるそうだ。安定した生活が得られることに加え、パイワン族としていられることを理由に頑張っている。

 またLjaljavaさんは、将来についてはまだ考えておらず、逆にやりたいことが多すぎるという。今後も時間があれば原住民族に関する活動は参加したいと意欲をみせ、2人からパイワン族であることの誇りやアイデンティティの強さを感じた。

 

 

4.まとめ

 4人のインタビューを通し、原住民族諸語や自文化に対する思い、アイデンティティの強さが感じられた。特に非原住民でも言語検定の受験をする人がいること、Walawさんのように原住民族の文化を知ろうとする人がいることは、興味深い発見であった。このように多くの人が原住民族諸語の存在を再認識することで、原住民族だけでなく非原住民も親しみを感じ、文化継承にもつながると考える。

 また言語使用状況については、台湾すべての人にとって母語は今や中国語となり、現在の若者や親世代を中心に日常会話として使用する機会が少なくなった。原住民族諸語を守り続けていくことは決して容易ではないことがうかがえる。だが近年では、原住民族諸語に対する個々の活動や台湾社会での変化の兆しがみえ、原住民族に対する人々の理解や関心が高まりつつある。

 

 

 

謝辞:調査においては上記4人の他、東呉大学生の周信宇さんと李宏偉さんにもご協力していただき感謝を申し上げる。

 

 

参考文献

赤松美和子、若松大祐 2022 『台湾を知るための72章』 明石書店

日本順益台湾原住民研究会(編) 1998 『台湾原住民研究への招待』株式会社 風響社

山本春樹、黄智慧、パスヤ・ポイツォヌ、下村作次郎(編) 2004 『台湾原住民族の現在』 草風館 

台北の豆花の現状

 

1.本文

1-1.豆花店を訪問して

 忠孝復興周辺の大安區で9店舗、迪化街周辺の大同區で10店舗の計19店舗を訪れたが、我々が実際に豆花を食べて特徴があったのは3店舗である。まず1店舗目は『騒豆花』である。16時頃に訪れると、昼食の時間も過ぎたからか客は三人ほどいたが店員の女性2人は客の1人と会話をしながら仕事をしていた。店内には机と椅子が多数置かれ、家庭的でありながらも洒落た雰囲気になっていた(画像1、2)。席に着くと、店員から1人1つの注文をするように念を押された。こういったことは、他店では言われることがなかった。店内には入店してから帰るまでK-POPの曲が多く流れており、豆花のトッピングが他の店とは異なり苺やバナナなどであることも踏まえると、伝統的というよりは若者向けの店なのではないかと感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

画像1:「騒豆花」の店内            画像2:「騒豆花」のメニュー表

 

 2店舗目は『庄頭豆花担』である。『まっぷる台北‘20』によると、一般的に豆花の店で提供される大豆で作る白い豆花のほか、栄養価が高く濃厚な風味の黒豆で作られる黒豆花を提供している(白木.昭文社)。我々が訪れた15時半頃には、店内には男性が一人、客が2名いた。テーブルは少ないが、全て2脚以上の椅子が準備されていた(画像3)。注文に苦戦していると店員が日本語のメニューを出し、用意のできないトッピングについては英語で説明してくれた。日本語以外にも韓国語や英語のメニューがあったことからすると、庄頭豆花担に訪れる外国人も多いのである(画像4)。この店ではトッピング数によって追加料金が発生することはなく、客の注文したトッピング数に合わせて分量を調節して提供していた。

 

       
     
 
 
 
   

 

 

 

 

 

 

 

画像3:「庄頭豆花担」の店内       画像4:「庄頭豆花担」の本語のメニュー表

 

 3店舗目は『純真豆花』である。迪化街の端に位置し、店内には机と椅子はほとんどなかった(画像5)。17時ごろに訪れたが、店員は夫婦らしき女と男の2人で主に女性が盛り付け、男性が会計を行っていた。『庄頭豆花担』と同様に、台湾語だけでなく日本語や英語のメニュー表もあり、注文は英語で対応してくれた(画像6)。我々が食べていると、「Service」と言いながら仙草ゼリーのようなものを出してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

画像5:「純真豆花」の店の様子   画像6:「純真豆花」の台湾語、日本語、英語

のメニュー表

 

 収集したデータを表から分かることを3つ挙げる。1つ目は、トッピング数やその種類によって値段が加算される店が多いということである。訪れた19店舗のうち13店舗がトッピングを追加することができ、店によって値段は異なるものの追加料金が加算される仕組みとなっている。

 2つ目は、私たちがガイドブックでよく目にする豆花は、トッピングを1から自分で選択する「综合豆花」と呼ばれるもので、店の中で最も値段が高いメニューであることが分かる。そして調査結果からも分かるとおり、ガイドブックでは目にすることが難しい原味などの豆花は値段が最も安い。

 3つ目は、原味の豆花を提供している店舗の多さである。我々が訪れた19店舗のうち半分の10店舗が原味の豆花を提供している。ガイドブックには原味の豆花についての情報が少なかったが、食べる機会は意外に多かった。

 

 事前に確認したガイドブック14冊の中で何度も紹介されている店舗が見受けられた。それらは原味の豆花とはかけ離れており、お店独自の工夫を凝らすことによって、ガイドブックで取り上げられていた。ここではまず大安區での2店舗、次に大同區での1店舗を紹介する。

【騒豆花】

豆腐の味をかなり強烈に感じ、芋団子などの伝統的な豆花ではなく、豆腐を少量にする代わりにかき氷を入れ、練乳をかけた果物をトッピングに使用することで豆腐の味がほとんどせず、洋風の甘味のあるスイーツへと進化させていた。したがって、豆花店では珍しく、フルーツを使用して彩りも良くすることが、話題を集めていることが分かった。豆腐が苦手な人でも美味しく食べることができるだけではなく、若者を中心としてSNSに映える写真を載せる人が多い、時代に合わせた工夫をしているのではないかと考えられる (画像3)。なお「騒豆花」では原味豆花は提供されていなかった。

【白水豆花】

この店は、今回の調査で訪れた店の中で最も高級感の溢れる店であった。注文の際にも、客一人につき必ず一つは豆花を注文しなければならないという規則が設けられていた。「るるぶ&more」によると[2]、栄養価の高い豆花を作るため、台湾北東部に位置する宜蘭東部の太平洋の深層水から作成したにがりを凝固剤として使用し、同様にミネラルが大量に含まれる宜蘭の山の湧き水に北米産のオーガニック大豆を用いて、伝統的なにがり豆花を提供している。これらから、健康にこだわる高価な原材料を使っている点が他店とは異なっているため人気を集めて、ガイドブックにも掲載されていることが分かった(画像4)。「白水豆花」はそもそもメニューが粉圓と桃膠の2種類しか存在していないため、原味豆花は提供されていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像3:「騒豆花」の豆花                           画像4:「白水豆花」の豆花

 

次に、大同區での店舗を紹介する。

【冰霖古早味豆花】

地球の歩き方 D10 台湾 2015~2016年版』によると、「豆花は台湾の伝統的なおやつでさっぱりとした味のプルプル豆腐」である。「甘いスープにピーナッツやアズキなどを入れ、混ぜて食べるもの」である(谷口.ダイヤモンド社)という記述がみられる。また、『トラベルデイズ 台湾』によると、「大豆を原料にした豆花という昔ながらのデザート」を提供している。「プリンのような食感で、郷愁を誘う優しい甘さだ」.(.昭文社)という。このように「冰霖古早味豆花」は「騒豆花」と同様に、さまざまなガイドブックに掲載されるほどに編集者からの注目を集めている店となっていることが分かった。調査結果からも分かる通り、「冰霖古早味豆花」は冷たい豆花か温かい豆花で値段が分かれており、そのうえトッピングはあらかじめ用意されている組み合わせから選ぶシステムとなっている(画像5)。したがって「冰霖古早味豆花」は値段の手頃さと注文のしやすさから、ガイドブック編集者や観光客から一目置かれる店のひとつとなっているのではないかと考えられる。また、深夜1時まで営業しており夜市の帰りに気軽に寄ることもできるため、現地の人々からも評価の高い店となっている[3]。こちらも原味豆花の提供は行っていなかった。

 

 
   


画像5: 「冰霖古早味豆花」のメニュー表

 

  今回訪れたガイドブックに掲載されている店舗では、いずれも原味豆花を提供していなかった。しかし表1からも分かる通り、原味豆花を食べることのできる店舗は想像よりも多い。

 

 

表1 店舗ごとの豆花の諸比較

店名 原味の有無 店名 原味の有無
騒豆花 なし 小南門傅统豆花  なし
永春 あり 豆花嫂  あり
阿鴻豆花 なし 豆花荘  なし
安東豆花 なし 杉味豆花 なし
梁記豆花 あり 豆花攤 あり
幸福七角楼 なし 榕美樹館 あり
玖公古早味豆花 あり 冰霖古早味豆花  なし
庄頭豆花担 あり 芋頭太郎  なし
純真豆花 あり[4] 黒岩黒砂糖刨冰  あり
阿明ヘ豆花 あり    

 

 

 調査結果をもとにした複数の観点から、現地の豆花の現状を分析する。

まずは原味豆花を提供している店舗数から考えられる実状についてである。今回調査対象とした19店舗の中で、原味豆花を提供している店は10店舗であった。その中でもアイスとホットの両方を提供している店は10店舗中3店舗となった。したがって、実際に原味豆花を食べることのできる店はかなりある。また、大安區で原味豆花を提供している店舗は8店舗中4店舗、大同區では11店舗中6店舗となっている。今回調査対象とした地域ではそれぞれ約半分の店舗が原味豆花を提供していた。

 次に原味豆花を販売している各店舗の値段設定から見られる状況についてである。それぞれの店が出している原味豆花の値段は40元が2店舗、45元が2店舗、50元が6店舗という結果となった。また、末尾付録の表の最低額と原味豆花の有無の欄からも分かる通り、原味豆花は各店舗の最も安い価格で販売されている。

 三つ目に、追加トッピングの観点から見受けられる現状についてである。追加のトッピングが可能な店舗は19店舗中12店舗となっており、さらに細かく見ていくと、トッピングの種類によって値段が変わる店が12店舗中7店舗、トッピングの量によって値段が変わる店が残りの5店舗となっている。さらに追加の芋頭(タロイモ)は、どの店舗でも価格が高めに設定されている。このように、追加トッピングの有無や値段設定からも各店舗の特徴が伺える。

 四つ目に、メニュー名から伺える状況である。オリジナリティのあるメニュー名で提供している店舗は19店舗中3店舗となっている。この3店舗に共通して言えることは、どの店舗よりも豆花の値段が高めに設定されているということだ。それらの商品は他の店舗では類を見ないような特徴的なものが多く揃っている。また、この3店舗では原味豆花は提供していないものの、ユニークなメニューで集客を行っていることが考えられる。

 

2.まとめ

  今回調査した店の中には、ガイドブックに記載されていた値段よりも高くなっている店も含んでいる。それらの店舗はコロナの影響を受けて値上げせざるを得ない経営状況となっていたのではないかと考えられる。しかし、現在は各店舗がさまざまな工夫を凝らすことで、バリエーション豊かな豆花達に出会うことができるようになりつつあると推測できる。今回の現地調査を通して、ガイドブックだけではわからない現在進行形の豆花の状況について知ることができた。

 

参考文献

・焦桐 2021『味の台湾』(川浩二訳) みすず書房

・白木信彦(編) 2019 『まっぷる台北』 昭文社

・谷口佳恵(編) 2015 『地球の歩き方 D10 台湾 2015~2016 年版』 ダイヤモンド・ビッグ社

・谷口佳恵(編) 2018『地球の歩き方 D10 台湾 2018~2019年版』 ダイヤモンド・ビッグ社

・谷口佳恵(編) 2020『地球の歩き方 D10 台湾 2020~2021年版』 ダイヤモンド・ビッグ社

・廣井友一(編) 2013 『ララチッタアジア台北 02 台北』 JTBパブリッシング

・廣井友一(編) 2019 『るるぶ台北‘20』 JTBパブリッシング

・K&Bパブリッシャーズ 2012 『トラベルデイズ 台湾』 昭文社

るるぶ&more「【台湾現地レポ】宜蘭発人気スイーツ店「白水豆花 台北店」が永廉街

へお引越し!」https://rurubu.jp/andmore/article/16259(2023年4月23日閲覧)

 

 

 

 

別表

店名 メニュー数(個) 追加トッピング数(種類) 最高額(元) 最低額(元) 原味豆花の有無 特徴
騒豆花 7 なし 草苺豆花 140元 騒豆花50元  なし 豆花は7種類と決まっていて、追加のトッピングは無い
永春 5 なし Q10珍珠60元 紅豆花生清豆花 50元 あり 原味の豆花をアイスとホットで提供している
阿鴻豆花 4 21 全て50元 全て50元 なし 綜合豆花に一種類トッピング追加で10元
安東豆花 6 8 花生(紅豆)豆花 60元 粉粿豆花 50元 なし 追加トッピングは、紅豆と花生のみ15元他は10元
梁記豆花 6 14 綜合豆漿豆花綜合糖水豆花65元 豆漿豆花糖水豆花50元 あり 豆漿豆花と糖水豆花は追加で2種類、綜合豆漿豆花と綜合糖水豆花は4種類のトッピングが可能
幸福七角楼 7 17 芝麻糊豆花70元 一種類トッピング50元 なし 追加トッピングは、奶油球が5元、珍珠・綠豆・薏仁・紫米・花豆・紅豆・煉乳・嫩仙草が10元、湯㘣・芋㘣・軟花生・芋頭が15元、鮮奶・濃豆漿が20元、鍚蘭奶茶醬・宇治抹茶醬が30元
玖公古早味豆花 17(夏限定1、冬限定3を含む) なし 綜合古早豆花綜合豆漿豆花薏仁湯豆花(夏限定)薑汁地瓜豆花(冬限定)綜合薑汁地瓜豆花(冬限定)65元 原味古早豆花(不加配料)花生古早豆花紅豆古早豆花綠豆古早豆花蜜豆古早豆花薏仁古早豆花芋圓古早豆花雪耳古早豆花雪蓮子古早豆花黒珍珠古早豆花豆漿豆花薑汁豆花(冬限定)50元 あり 原味の豆花を夏にアイス、冬にホットで提供している
庄頭豆花担 2 15 全て50元 全て50元 あり 何種類でもトッピングし放題(分量で調節するため)
純真豆花  11 13 芋頭豆花木耳豆花60元  清豆花45元 あり +5元で生姜汁or豆乳に変更可能中文のメニューと日本語のメニューで内容の違いがみられた。(清豆花の有無など) 
阿明ㄟ豆花  4 18 综合豆花65元 (花生、紅豆、芋頭、緑豆、麥角、粉圓、芋圆、愛玉、粉粿、鳯梨、椰果、蒟蒻、地瓜圆、小湯圆、仙草凍、米苔目、花豆/大紅豆、大麥/小薏仁) 原味豆花40元 あり 冷たい豆花は年中提供されているが、温かい豆花は冬季限定となっている
小南門傅豆花  6 なし 豆花+花生+芝麻湯圓2颗70元  豆花+花生55元  なし ネットに出回っているメニューより値段が高いため、値上げしている可能性が高い 
豆花嫂  5 なし 檸檬豆花65元 冰豆花50〜70元 あり 冰豆花はサイズによって値段が異なる 杏仁、ハトムギ、豆乳などのシロップがある
豆花荘  18 22 三式豆花75元 花生豆花紅豆豆花粉圓豆花粉粿豆花緑豆豆花大豆豆花芋圆豆花小薏仁豆花湯圆豆花麥片豆花檸檬豆花50元  なし トッピングはかき氷と共通のため、チョコレートソースやプリン(夏季限定)など、ユニークなものがいくつかあった。ただしこれらのトッピングを豆花に追加できるかは不明。
杉味豆花 5 4 两種75元 (芋頭、地瓜、蓮子、銀耳)  任選两種55元 (花生、紅豆、緑豆、蜜豆、薏仁、麥角、芋圆、脆圆、粉圓、愛玉、布丁、粉粿、杏仁凍) なし ひとつ増えるにつき+10元 ※芋頭、地瓜、蓮子、銀耳は+25元
豆花攤 6 なし 45元  45元  あり 全て45元 (花生、緑豆、粉圓、花豆、综合、清)
榕美樹館  6 13 小暑榕120元 純豆花50元  あり 2種なら70元、3種なら80元 日本語表記がやや特徴的
冰霖古早味豆花  11 あり 傅統豆花4號豆浆豆花4號65元(温) 傅統豆花1號傅統豆花2號傅統豆花3號傅統豆花5號傅統豆花任選豆浆豆花1號豆浆豆花2號豆浆豆花3號豆浆豆花任選55元(冷)  なし 通常のものと豆乳版がある。4號を除き、冷たいものは55元、温かいものは60元で統一されている。 
芋頭太郎  12 8 金牌芋頭牛奶綜合豆花宇治金時豆花野苺狂想曲豆花可可焦糖風暴豆花160元 黒糖珍珠/花生/緑豆/紅豆/芋圆豆花80元 なし とにかく高い ひとつ増えるにつき+10元、タロイモのみ+20元 
黒岩黒砂糖刨冰  4 なし 手作豆花(三様)嫩仙草奶凍60元  手作豆花手炒黒糖甜湯40元  あり トッピングの数によって値段が変動する豆乳は+5元 

 

 

[1] 文献では(焦桐.2021)原味豆花について「豆乳にでんぷんか石膏、にがりや寒天などの凝固剤を加えてかき混ぜて冷やすと完成する、とてもシンプルな台湾の伝統的なデザートである」と述べている。

[2] るるぶ&more「【台湾現地レポ】宜蘭発人気スイーツ店「白水豆花 台北店」が永廉街

へお引越し!」https://rurubu.jp/andmore/article/16259(2023年4月23日閲覧)

 

[3] 冰霖古早味豆花 「冰霖古早味豆花-甜點專賣店」https://dessert-shop-2935.business.site/ (2023年5月29日閲覧)

[4] 日本語メニューに記載は無いが、中国語表記のメニュー存在を確認できるため、ここでは原味豆花を取り扱っているものとする。

台湾におけるMITのイメージ

 

1.はじめに

 日本の旅行ガイドブックでは、台湾製の物品が「MIT」(made in Taiwanの略)と形容されることが珍しくない。しかしその一方で、台湾人と話していると、はたして「MIT」という呼び方が一般的なものとなっているのかというと、疑問に思わざるをえないこともある。

 そこで、フィールドワークでは、現地の人たちのMITに対するイメージを知るための調査をこなった。

 

2.MITに対するイメージについての調査

2-1 東呉大学生に対する聞き取り

 まず、現地滞在期間中の2月15日に行われた東呉大学生との交流の際に、MITに対してどのようなイメージを持っているのかについて10人の学生(そのうち1名はマレーシアからの留学生)を対象に聞き取り調査を行った。その結果多かったのは、MITに対するイメージが具体的な製品や物というよりも、安全や信頼といった台湾製に対する意識だという意見である。

 具体的な製品で何か思い浮かぶものがあるかという追加の質問に対しては、少し悩んだ上で、コンピューター製品や電気鍋、茄芷袋があげられた。Made in Taiwanといえば、どのような製品を購入するべきかと聞けば、ある学生は茄芷袋が良いだろうと答えた。一方で他の学生は、特に何もこれといったものは思いつかないと答えた。

 

2-2 商業施設での聞き取り

 より多くの意見を求め、2月22日、松山文創園区*1付近にて聞き取り調査を行った。質問内容は、以下の通りである。((1)から(3)は選択式で回答を得た。)

 

  • 年代

  • 性別

  • 国籍

  • MIT(Made in Taiwan)に対して:どのようなイメージを持っているか・具体的に思いつく製品はあるかについての問い

 

 ここでは20代~60代の男女計23名に対して口頭での調査を行った。国籍で台湾を回答した人の結果は表1、台湾以外を回答した人の結果は表2の通りである。

 台湾人からの回答には、安心できる、言葉の意味通り台湾のものというイメージが多いほか、具体的な物は何も思い浮かばない、頭の中ではイメージできるが言葉にすることが難しいという回答も目立った。具体的な製品名については思いつかない人が少なくはなかった。またMITに対してどのようなイメージを持っていますかと最初に聞いた際に、MITが何のことか分からないという人もいたが、Made in Taiwanと付け加えると理解していた。

 国籍に台湾以外を回答した人からは、台湾人の回答に比べ具体的な製品の回答が目立った。また台湾人と同様、中にはMITと聞いただけでは何のことか分からないという人もいた。

表1:MITに対するイメージについての聞き取り調査の結果(台湾)(2023/2/22)

 

年代

性別

MIT(Made in Taiwan)に対するイメージ

 

1

20代

女性

人情味がある、優しい印象

 

2

20代

女性

品質が保証されている。国家が認定しているため、安心安全という印象を受ける。

 

3

20代

女性

台湾が発展していることを表す象徴である。

 

4

20代

女性

イメージも具体的な製品も何も思い浮かばない。

 

5

60代

女性

台湾で作られたもの。(言葉そのままの意味)日常的に身近に感じられる。

 

6

60代

女性

中国製品よりも良いというイメージ服やお土産、手作り製品(ハンドクラフト)などを思い浮かべる。

 

7

50代

男性

自分の国のもの。親しみやすいという印象。

 

8

60代

男性

台湾で製造されたもの。言葉の意味通り。

 

9

60代

女性

台湾のもの。

10

60代

女性

台湾で作られたもの。

11

40代

男性

頭の中でイメージはできるが、上手く言葉にすることができない。

12

20代

男性

言葉の通り、台湾で作られたものを指すと思う。具体的な物は何も思い浮かばない。

13

40代

男性

安心できる。

14

20代

女性

台湾で有名なもの。電子部品

15

20代

女性

台湾の伝統的な物、製品。

表2:MITに対するイメージについての聞き取り調査の結果(台湾以外)(2023/2/22)

 

年代

性別

国籍

MIT(Made in Taiwan)に対するイメージ

1

20代

男性

アメリ

特になし

2

20代

男性

アメリ

衣服

3

30代

男性

アメリ

Made in Chinaとの違いを区別するもの

4

40代

女性

香港

食べ物を最初にイメージする。それ以外の物だと、アイデアがある製品。

5

30代

女性

香港

コスメを最初に思い浮かべる。台湾のコスメが好き。その他だと職人さんが作った物のイメージ。

6

30代

女性

オーストラリア

地元の食べ物、夜市の食べ物

7

60代

女性

オーストラリア

地元の食べ物。火鍋。

8

40代

女性

オーストラリア

台湾で作られたもの。スキンケアや化粧品などが最初に思いつく。

2-3 台湾人留学生に対する聞き取り

 調査1・2の結果を示した上で、6月14日に台湾人の留学生であるAさんに話を聞いた。

Q1.

MITは何の略語であるか知っているか。聞き馴染みはあるか。

 

もちろん知っている。台湾人はよくMITと言う言葉を使う。

Q2.

MITと聞くと、どのようなイメージを思い浮かべるか。また、具体的に思いつく製品は何かあるか。

 

Made in Taiwanというただの台湾製のことを指すだけで、品質が良い、安心だという印象は受けるが、具体的な製品名は答えにくい。

Q3.

日本のガイドブックには、MIT雑貨が取り上げられていることが多く、中でも茄芷袋や客家花柄について取り上げられていることが多いが、これらの製品を知っているか。(茄芷袋は文字を見ても何のことか分からないとのことで画像を提示した。)

 

(まず、MIT雑貨が取り上げられているということに驚いた上で)客家花柄はどんな柄か分かる。この柄は生活しているとよく見るし、布団の柄や、ポーチの柄によくある。茄芷袋について、この柄は確かに知っているが、茄芷袋自体を使っている人を私はほとんど見たことがない。田舎だとよく見かけるかもしれない。この柄が施された製品があることは知っているが、使っている人は周りで見たことがない。この柄のテーブルクロスは見たことがある。若者はこの柄の製品を使う人はいないと思う。茄芷袋の柄が施された筆箱やポーチなどは、売られていることは知っているが完全に観光客に向けた製品という印象がある。観光客向けという意味ではガイドブックで取り上げられているのもよく分かるが、実際に台湾人はこの柄の製品をよく使っている訳ではない。

Q4.

東呉大学生との交流の際、Made in Taiwanといえば、どのような製品を購入するべきかと聞けば、茄芷袋が良いだろうという答えが出たがそう思うか。

 

そのような答えが出たことに驚いた。彼らはこの柄の製品を使っていないと思う。

Q5.

東呉大学生への聞き取り調査の中で、MITの具体的な製品として電気鍋があげられたが、これは台湾でよく使われているか。

 

この鍋は、本当に台湾でよく使われている。台湾人はみんな持っているし、毎日使っていると言っても良いと思う。台湾に来ていた知り合いの日本人留学生は、台湾でこの電気鍋を買って使っていた。

Q6.

普段生活している中で、台湾製を意識するのはどういう時か。

 

普段はあまりこの製品がどこの製品かというのは、私は気にならない。食品だったら、外国で動物の病気が流行したときは少し気になるかもしれない。

Q7.

MITに対するイメージ調査2の中で、中国製品との比較という回答があったが、海外製品に対するイメージはどうか・

 

海外製品に対して、特に悪い印象がない。私はそうであるが、気にする人もいるかもいれない。台湾人は日本製品が好きで、日本製か台湾製かで迷う人も多い。

 MITに対するイメージ調査2を終えた時点では、台湾人は台湾製に対してのこだわりを持っているように思えたが、留学生Aさんとの話の中では、そのようなこだわりはあまり感じられなかった。

 

3.まとめ

 台湾を訪れる前に得ていたMITに関しての情報は、雑貨やお土産といった製品に対するものであった。しかしそれらはあくまでも旅行者向けの情報であり、現地での2つの聞き取り調査と、台湾人留学生への聞き取りから、台湾現地の人はMITに対して具体的な製品の印象を持っているのではなく、安全や安心、信頼といった、あくまでも品質を保証するようなイメージしか持っていないことが分かった。

 また台湾では画像1・2のように、製品表記において他国製のものに対しても、デザインは台湾で台湾人が行ったと主張するように表記されていることや、画像3のようにデザインも原産地も両方台湾であると表記されていることがあった。これらは聞き取り調査で分かった台湾で持たれているMITへの安心や安全、信頼といったイメージと大きく関わっていると考えられる。

 

 謝辞:調査2の実施にあたり、渡邊先生に通訳としてご協力頂いた。

 

画像1:マスコットの製品表記



画像2:ポーチの製品表記

画像3:スマホケースの製品表記

 

参考資料

朝日新聞出版(編) 2017『ハレ旅 台北朝日新聞出版

 

*1:1937年に建設されたタバコ工場跡地をリノベーションした商業施設。デザイン系ミュージアムやカフェ、雑貨店が並び、展覧会などの芸術活動も行われている。(廣井、 2019)

台北市立美術館企画展『狂八〇』レヴュー

 

木部 規代

 

1.はじめに

 日本人向けの台湾観光の情報は、食べ物、雑貨、リノベーションスポットなどに集中しており、それらと比較すると美術館に関するものは極めて少ない。リノベーションされた「NEW OPEN スポット」として順益台湾美術館が1/4ページ分を使って紹介される中で、「台湾のアート作品を幅広く展示(略)作品を通して、台湾の歴史と文化にふれられる貴重な美術館だ」等の解説があるのみだ(JTBパブリッシング、2022)。他の美術館も同様で、外観の紹介にとどまっており、展示内容および企画展について、日本語での詳細な情報が記載されているものは故宮博物院だけだった。

 ここでは現代台湾社会の美術界がどのようなものなのかについて理解を深める一環として、現地滞在期間中に台北市立美術館で開催されていた『狂八〇』に焦点を当て、その展示内容について詳細に報告する。

 

2. 台北市立美術館企画展『狂八〇』について

2-1 会場:台北市立美術館 (Taipei Fine Art Museum)

 同美術館は1983年に台湾初の公立美術館として設立された。設立の目的は次の二点である。第一に現代美術を保存し、研究開発を促進することであり、第二に国民が美的感覚を持ち、創造性、分析力を持つ社会を実現するための教育を推進することである。

 建物は地下1階、1階、2階、3階回廊の4層構造となっており、企画展の他にも十分な展示スペース、活動スペースがある。(画像1)

 入館料は一般NT$30、6歳未満の子どもと市内の高齢者(65歳以上、原住民は55歳以上)及び障がい者は無料である。学生はNT$15であるが、土曜日は美術館独自に設定された「勉強の日」として無料となっていた。(画像2)

画像1: 台北市立美術館(南側)

画像2: 2023.2.25㈯ 16時頃 チケットブース前の様子

2-2『狂八〇』の概要

 この展覧会は2022.12.3~2023.2.26の約3ヶ月間 、サブタイトルを「跨領域靈光出現的時代 The Wild Eighties: Dawn of a Transdisciplinary Taiwan」として開催されていた(画像3)。

 会期最終の2月末に4回訪問し、展示物を鑑賞すると同時に解説とほぼすべての展示物を写真撮影した。タイトルにある『狂』という中国語は、中日辞典によれば「精神が異常である,気が狂っている」「(主にうれしい場合)あたり構わず,気も狂わんばかりに」「高慢である,気違いじみている」「激しい,勢いがすさまじい」といった意味である。英語のサブタイトルにある ‘Wild’ と1980 年代の台湾の民主化を求める社会情勢からすれば、日本語の解釈としては「激動」が適当であろう。

 この展覧会は80年代を中心に、60~70年代から90年代以降までを含む台湾の現代史を6つのセクションに分けて説明している。絵画、彫刻の展示を見るだけでなく、演劇や音楽のライブ映像、レコードなども視聴できる。また、それぞれのセクションへ移動する際、次の部屋が見えるくりぬきがあったり、壁越しに歌が聞こえてきたり、次のブースへの回廊にも作品を展示するなどの工夫があった(画像4)。

 画像3: 会場入り口 展覧会のタイトル(左壁面に光によるインスタレーション

画像4: 展示会場見取り図 (ガイドブックの図にセクションナンバー、出入り口と動線を加筆)

2-3 展示内容

 本レポートでは各セクションを順に紹介する。それぞれのセクションに中国語・英語タイトルがあった。(各タイトルのあとに日本語訳を加えている。)なお作者らの氏名は展示物の原文どおりとし敬称を省略している。

①前言・七〇 Prologue・1970s(序文)

 このセクションの展示は、1970年代のものである。ここで俞大調が紹介されていた。彼は中国オペラの専門家であり、国立台湾大学演劇学科を設立するなどして、80年代以降に活躍する芸術家たちを指導した人物であった。展示物としては演劇「平劇」のポスター(画像5)の他、雑誌、書籍類があった。英語の公演雑誌 『ECHO』、1978年の『月間獅子芸術』(画像6)、郷土文学論争を起こした『仙人掌』等(画像7)もある。

 展示されていた写真、新聞等は当時の社会背景を示している。中華人民共和国との国交を結ぶことにより、台湾と断交したことに抗議するためアメリカ代表団の車に卵を投げつけている現場写真(画像8)や美麗島事件に関わる施明徳(雑誌『美麗島』社の代表)の賞金付き手配書(画像9)なども見ることができる。 

画像5: 平劇ポスター

画像6: 月間獅子芸術

画像7: 仙人掌等の雑誌

画像8: アメリカ代表団へ抗議する様子の報道写真

画像9:施明徳の賞金付き手配書
②前衛與實驗 Avant-Garde and Experimental(前衛と実験)

 1980年代は30年間続いた戒厳令が終わろうとしていた時代だった(1987年に戒厳令解除)。このセクションではアヴァンギャルド(前衛的で、先駆けとなる、革新的な実験)といえるものを展示している。

 この台湾社会が民主化されていく流れの中で台北市立美術館が開館した。数千年にわたる王朝の宝物を展示する故宮博物院に対する現代アートのためである。ここでは開館当時の新聞記事(画像10)、当時の展示物や屋外パフォーマンスの様子の写真等に加え、設立許可証(画像11)等の資料まで展示されている。

 また、開館時から屋外にあり、現在は正面入り口の階段横にある赤色のオブジェ(画像12)にはアートと政治が絡んだ事件の歴史がある。このオブジェは見る角度により中国共産党のマークに似ていた(画像13)ため、一時銀色に塗りかえられた。

 1980年代は、台湾のダダイズムの時代でもあり、従来のアートに対抗するかのような空間を利用した表現やインスタレーションが行われた。発表当時の展示を再現しているものもあった。

 一例として、陳介人の『椅子・位置“In What Position?”』 は投影機を利用したものだった(画像14、15)。王俊傑の『息壌 ”Xirang” “Xirang2”』は、既存の社会、美術館の在り方に反対するため、空港の空きスペースや路上で行われたパフォーマンスであった。今回は映写機でその様子が見られる(画像16)。林鉅の作品は90日間、外部との接触を一切断ち切りスタジオ内にこもり、毎日続けたセルフィーを順に投影するというものだ。その作品は大きな壁面を利用して展示されている(画像17-20)。また他に、砂浜、河原、原野を舞台にして上半身裸の団体がパフォーマンスをする様子を記録した写真もある(画像21)。

 演劇でも新しい戯曲が書かれ始め、展覧会ではその台本やチラシが置かれるだけでなく、当時のステージ映像を見ることができる。

画像10:『英文中國郵報』(China Postの台北市立美術館開館を伝える記事1983.12.02)

画像11: 台北市立美術館開館設立許可証

画像12: 屋外オブジェのひとつ(正面玄関から見たもの)

画像13: 画像12のオブジェは美術館の北側のある場所からは中国共産党のマートにも見える

画像14: 陳介人『椅子・位置“In What Position?” 』

画像15: 上の作品に使用されていた投影機

画像16: 王俊傑『息壌“Xirang”』
画像17-20: 林鉅『純繪畫實驗閉關90天 “The Experiment of Pure Painting, Solitary Confinement During 90 Days” 』

画像21: 荒野、砂浜などを下着1枚のみ、素足で移動しながらのパフォーマンス
③政治與禁忌 Politics and Taboo(政治とタブー)

 このセクションの展示はタブーの多い時代における芸術活動に焦点を当てたものである。開催日が10月25、26日で「拾月」とタイトルのつけられた演劇の展示コーナーでは、「注劇団」「歓緒劇団」「河岸劇団」という劇団と王俊傑による作品が写真、ビデオで見ることができる(画像22、23)。これらの中には劇場だけでなく、放置された建物や沿岸などで開催され、観客も演者も移動しながら行われていたものもある(画像24)。

 さらにこのブースでは当時の音楽にも触れることができる。人気歌手、羅大佑に関するものは歌詞カードの展示以外に、レコードをヘッドフォンで聴いたり、その頃のコンサートの様子を大画面のスクリーンで見られたりする(画像25、26、27)。その音声は隣のセクションにいても聞こえるほどだった。

 またこのセクションでも差別に関する事件等のさまざまな報道や芸術活動が取り上げられている。美麗島事件、李師科の事件[1]、原住民の権利を求める集会、湯英伸事件[2](画像28)、国会の全面再選、総統の直接選挙を求めるデモの写真(画像29)、ジェンダー差別に対する運動の写真や記事、それらの問題を含む映画のポスター、その映画の撮影現場写真などが展示されている。また中華民国の歴史についての雑誌『20世紀台湾1982』もある(画像30)。

[1] 原住民の李師科が銀行強盗で500万元を奪ったもののそのほとんどを使用しなかったが銃殺刑になり、その罰が多くの国民に疑問視された事件。

[2] 事件当時、未成年だった湯英伸が原住民差別から殺人を犯し死刑となった事件

 

 その次のスペースにも社会問題の展示が続いている。原子力発電所の問題、五・二〇農民運動に関する新聞の他、中国の学生運動を支持するため、100人以上の歌手が作成した“Wounds of History”の録音、その数か月後に起こった天安門事件後の報道の歪曲に対しての批判等の記事がある。性マイノリティを公表していた田啟元は人気の演出家・劇作家であった。彼のポートレート(画像31)や、社会に対する批判、台本が並べられ、その演劇作品の写真やビデオを鑑賞することができる(画像32)。

              

画像22: 蘭陵劇坊の舞台写真

 画像23: 蘭陵劇坊『代面』台本とチラシ

 画像24:『拾月“October, Ruin Circle Theater” 』一環墟劇場
画像25、26、27: 羅大佑のコンサートのカット

画像28: 湯英伸事件
画像29: 様々な社会問題に対して行われたデモ

画像30: 雑誌『20世紀台湾1982』
画像31: 田啟元   画像32: 田啟元の原稿
④翻譯術與混種 Translation and Hybridity : 翻訳とハイブリディティ

 このセクションはアートのみの展示となっている。当時の東南アジアでは著作権法の概念が現代のようには周知されず遵守されていなかった。海外から帰国した台湾人によっても大量の外国書籍が翻訳され、映画、音楽も流入するなどして、進歩的なイデオロギーが台湾国内に急速に広まっていた。

 それらと呼応するかのように女性の作品が取り上げられるようになった。中国の張愛冷は台湾でも人気作家となり、台湾を拠点に活動した三毛は翻訳家等の活動もしながら作家活動をした。彼女の著作物、手帳、手書き原稿や絵画、写真に写っていたスカートなどの展示もある(画像33、34)。同時期に海外の芸術家たちの公演も活発になっていた。香港の劇団二十面體、日本の白虎社(画像35)、フランス人パントマイムアーティストのマルセル・マルソー(画像36)等が来演している。それらの公演の一部は写真だけでなく映像として見られる。唯一残念なこととして当時発行されていた雑誌や書籍を手に取ることができず内容を見ることができなかった(画像37)。

画像33: 張愛冷の著作物の展示 画像34: 三毛の著作物の展示

画像35: 日本の白虎社

画像36: フランスのマルセルマルソー

画像37: この時代の雑誌、書籍の展示
⑤在地、全球化與身份認同 Local, Global, and Identity(地域、グローバル化アイデンティティ)

 1987年に戒厳令が解除された後、台湾の国際化が進む中で人々は大陸(中華人民共和国)の存在を常に考えながら、あらためて自らのアイデンティティについて、また世界の中での台湾の歴史的、地政学的な位置づけについて考えるようになった。

 たとえば国内に目を向けるとき、写真家は原住民を被写体として選び(画像38)、グローバルな視点では、台湾がシルクロードの東端と捉えて日本のNHKと共同でテレビのドキュメンタリー番組『シルクロード』シリーズの一本を製作することもあった。台湾国内の映画に関しては政府の意向に添うものを製作するのではなく、表現したいものを企画製作するようになっていった(画像39、40)。

 このように、このセクションの展示は絵画・音楽・映画・雑誌・コマーシャルフィルム・オブジェと多岐にわたっている。自由な表現を求める一連の動きの代表的なものとして映画『悲情城市』があり、ポスター、映画の撮影風景、場面写真が紹介されている(画像41)。演劇では優劇場、実験劇団の活動が活発であった(画像42)。中国の伝統色の強いものと西洋の舞台技術が融合されたものも上演されるようになった(画像43)。

画像38: 關曉榮 原住民を題材にした10枚連作の写真の一部
画像39: 電映合作社のメンバー 画像40: 987年台湾電影宣言的反響と取り上げている冊子

画像41: 映画『非情城市』撮影中の展示物

画像42:  優劇場のパフォーマンス写真

画像43:  雲門劇場10周年記念公演プログラム  舞台スチール写真
⑥匯流與前進Convergence and Onward (収束と前進)

 最後のセクションの会場はそれまでとは違って、体育館くらいの広さの大きく明るい空間だった。

 この部屋に入る瞬間、1988年に亡くなった当時の総統、蒋経国肖像画5枚が目に飛び込んでくる。呉天璋が描いた年代順の連作『蒋経国五期』だ(画像44)。肖像画の下には当時の新聞、またその前のスペースには80年代頃からの雑誌類の本棚が並んでいた(画像45)。他の壁面には21世紀のアート関連の専門家たちがインタビューに答える5つの大画面(画像46)があり、フロアの一角には現在も台北市内やその近辺に残り、訪ねることのできるスポットを示す地図のジオラマのようなボード作品(画像47、48)がある。  

 この部屋の造りの特徴は木の床で作られたひな壇だ。その階段やスロープのあるスペース、広いフロアの好きな場所で鑑賞者がのんびり座ったりしていた(画像47、48)。

 また、このセクションの奥には暗い入り口の小部屋があった。そこではミラーボールがくるくる回り室内を照らしていた。そして、スポットライトが壁に掛けられたレコードジャケットの一つに当たると、当時発売禁止となったそのレコードの収録曲が流れる仕掛けになっていた。それらの歌についての解説はなく、外国人には理解が難しいが、センチメンタルな感情を持っているかのように禁止されていた歌に聞き入っていた人も見られた。

 最後のセクションから出ると、展覧会の出口までにはさらに台湾の年表(画像50)や短編映画15作品を視聴できるカプセル型のブースが数個並んでいる。これらの短編をすべて視聴したい場合は、もう一度この映画鑑賞をメインに来館すると良さそうだ。

画像44: セクション6展示室呉天璋『蒋経国五期』

画像45: 1980年代前後からの雑誌棚

画像46: アート関係者、金士傑氏のインタビュー動画
画像47: 台北市地図と今回の展示関連施設案内ボード 画像48: 左記施設の解説
画像49・ 画像50: ゆったりとしたスペース  階段 スロープ

画像49: アートと社会情勢に関する年表の展示(天板に中国語と英語で表記)

 

3. おわりに

 台湾が大陸の中国との特殊な関係性を保つ中で、人々はこの『狂八〇』を訪れることによって1980年代が激動の始まりの時代であったことを思い出すだろう。このように、この展覧会は人々に当時のアートに触れさせ、アイデンティティについて考えさせるものであり、またアートが社会の成熟を促すことに大きく関わっていることを気づかせる契機となったのではないだろうか。

 

 

≪80年代をめぐる主な出来事≫

1978 蔣経国、総統就任

   アメリカと国交断絶

1979 雑誌『美麗島』創刊 美麗島事件に発展する住民と警察の流血事件、党外指導者   の大量逮捕

1980 美麗島事件で逮捕された林義男の家族惨殺事件発生(双子の子どもたち、母親死 亡、妻は下半身不随に)

1981 陳文成事件

1984  蒋経国が総統に再選、李登輝が副総裁に当選

   江南事件

1986 民主進歩党結成

1987 戒厳令解除

1988 蒋経国死去 李登輝が総統に昇格

1989 嘉義市郊外に初の二二八紀念碑が除幕 

   鄭南榕、国民党政府の言論弾圧に抗議して焼身自殺

   中国で天安門事件発生

 

 

【参考資料】

≪文献≫

何義麟『台湾現代史 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』 平凡社 2014

台北市立美術館『狂八〇跨領域靈光出現的時代 The Wild Eighties Dawn of a Trans disciplinary Taiwan』ブックレット  2022

中村浩『ぶらりあるき台北の博物館』  芙蓉書房出版 2013

野嶋剛『ふたつの故宮博物院』  新潮社  2011

三橋広夫『これならわかる 台湾の歴史Q&A』 大月書店 2012

JTB パブリッシング旅行ガイドブック(編)『るるぶ台湾’23』 JTB パブリッシン グ 2022

≪ウェブサイト≫

台北市立美術館“VERSE ‘News北美館「狂八〇:跨領域靈光出現的時代」:台灣80年代的文青、知青和憤青都在幹嘛?’”  VERSE 2023.FEB-MAR、閲覧

台北市立美術館“狂八〇:跨領域靈光出現的時代| 臺北市立美術館”、2023.7.22閲覧

OPENTIX “北米パビリオン「Krazy 80: 学際的オーラの時代」”、 2023.7.23 閲覧

上記サイト内の画像 李在謙「無限の無限」画像提供:台北市立美術館のアーカイブ

2023.7.23 閲覧

 

「新芳春茶行」訪問レポート(2023年2月)

 

 

 

1.はじめに

 COVID-19により、日本人観光客が「新芳春茶行」に訪れる機会が減少した。1階2階の企画展示エリアについて2023年2月の時点で開催されていた「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」、「森入生活」を紹介する。また、「新芳春茶行」のガイドスタッフのもと、先行情報から知ることができなかった建物のデザインやそこに込められた意味、入場制限がある3階について説明する*1

 

2.新芳春茶行の展示内容

2-1 建物と外観

 王家は代々茶を中心に経営してきた家系で、現在の「新芳春茶行」は1934年に2代目王連河によって建てられた。「新芳春茶行」は、中華と西洋のスタイルが融合した住宅と商業の複合施設となっている。このような施設が完全な状態で保存されている例は少ない。表は商売、裏は民家という伝統的な形をとらず、1階を商業スペースと製茶工場、2階を作業スペース、3階をプライベートスペースという稀な形をとっている。大稲埕の茶商は廈門や南陽などと交流が深く、取引者の大半が外国人であったため、西洋式の建物を好んで建てたといわれている。

 当館の資料からは、入り口のアーケードにはかつて赤い布が掛けられていたことが分かる(画像1)。今は見ることが出来ず、吊してあった名残の鉤のみが見られる。赤い布は台湾で最も長く現存する彩八仙の刺繍布であり、1934年「新芳春茶行」が完成したときに掛けるよう命じられた。80年以上の歴史があり、長さは15メートルに及ぶ。台湾の民間伝承では、ドアのまぐさに彩八仙を吊すと悪霊を抑える効果があると言われている。

 「彩」という言葉は「財」という発音表記から「福を迎え、富を受け入れる」意味も持つ。赤い布には、海を渡る彩八仙(鍾離權、張果老呂洞賓、李鐵拐、何仙姑、藍采和、韓湘子和曹國舅八人)と「新」「芳」「春」「行」の四文字が刺繍されている(鄭欽天、2015)。

画像1:かつてまぐさに掛けられていた彩八仙の刺繍布(展示資料より)

2-2  入り口の扉

 「新芳春茶行」の両開きの扉には「対聯」の対句が記されている(画像2、3)。この対句の読み方は、ガイドの説明がなければ知ることが不可能であった。最初の2文字は、左門に書かれた文字と右門にかかれた文字を横読みする仕組みになっており、「芳」と「春」から博物館の名前「新芳春茶行」、「尋」と「採」から「尋ねて行って茶を採る」という意味を示している。両側の門にそれぞれ残る2語は、縦読みになり「顧渚」は「浙江省」、「蒙山」は「四川省」など中国大陸の茶の名産地を表す。名産地を記した理由は、当時茶屋だった「新芳春茶行」が中国大陸から来た本物の茶であることを訪客に知ってもらい、信頼を得るためであった。

画像2: 入り口                             画像3:「対聯」

 この対句を囲っている金色の縁の四角には「蝴蝶」の絵がある(画像4)。國語の発音で蝶は<die>、高齢や老人を表す「耋」と同じ発音のため、「蝴蝶」は「長寿を表す縁起の良いもの」として台湾で扱われており、「新芳春茶行」の扉の「蝴蝶」は商売繁盛を意味している。

画像4:「蝴蝶」の絵


2-3 常設展示

 エリア①~③は常設展示であり、「新芳春茶行」の年表や3代目王国忠に関する掲示板、茶屋時代の事務道具と見取り図の展示から構成されている。

建物に入ってすぐの左手側に、エリア①の年表「台茶走出会世界走進来(台湾に渡り世界に進出)」がある(画像5、6)。王家が1913年に中国の福建省から台湾へ渡り現在の「新芳春茶行」に至るまでを記載している。

画像5:エリア①年表「台茶走出会世界走進来(台湾に渡り世界に進出)」

画像6:「台茶走出会世界走進来(台湾に渡り世界に進出)」

 向かい側のエリア②には、3代目王国忠が輸出茶業に勤めて生涯を終えるまでの主な流れと彼の人柄について記した掲示版がある(画像7、8)。「勤勉で倹約家」「仕事に真面目で誰よりも慎重な人」「保守的で正直な人」といった人柄が、友人や家族のインタビュー内容を元に説明されている。

画像7:エリア②台湾茶地園(台湾茶園)           画像8:「台湾茶地園(台湾の茶園)」

 エリア③には(画像9)、当時使用していた事務道具や建物の見取り図がある(画像10)。この赤レンガは(画像11)、日本製品でありながら「TR(台湾レンガ)」という名称である。修復工事の際にほとんど捨てられてしまったが、日治時代の影響を受けていた物と分かるため、現在一部だけをエリア③に保存している。質の良いレンガとしても台湾で周知されており、よく使われていた。

画像9:エリア③新芳春茶行的歴史(新芳春茶行の歴史)
画像10:「新芳春茶行的歴史(新芳春茶行の歴史)」

画像11:「TR(台湾レンガ)」

2-4 特別展示

常設展示を通り過ぎると、特別展示エリアに入る。現地調査時に開催していた展示は、「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」であり(画像12)、タイトルから分かるとおり3代目王国忠時代の「新芳春茶行」について焦点を当てた内容になっている。エリア④から⑧までを順番にみていく。

画像12:「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」

 エリア④で(画像13)、王国忠の時代から現在の「古跡」に至るまでの「新芳春茶行」と台湾政府のやりとりをまとめた3つの解説板である(画像14)。それによると、この建物は2005年に「歴史建築物」として認定された後、都市計画のために建物全体が取り壊し危機に直面したとある。幸いにも、台北市史跡検討委員会は文化資源の価値を考慮し「新芳春茶行」の保存に合意したため取り壊しを免れ、現在は「古跡」指定になっている。また、2011年から2015年の修復工事の際には、3代目王国忠が建物の永存を望み、長期の交渉を経た後に「新芳春茶行」を政府へ寄贈した。2016年に「新芳春茶行」が一般公開されるまでに起きたこれらの事実は、今回の展示から知ることができる。

 隣のエリア⑤では茶屋時代の関係者にインタビューした映像が公開されている(画像13)。

画像13:エリア④・⑤解説板とスクリーン
画像14:「新芳春茶行」が一般公開するまでの歴史の解説板

 エリア⑥には(画像15)、大きなショーケースがあり王国忠が使っていた書類や道具が展示している。

 書類には、彼が輸出茶の経営時代に書いていた外国向けの手紙や「新芳春茶行」の茶の種類や価格、他店との取引を記録したノートがある(画像16)。内容は機密情報であったため、ノートは関係者以外に見られないようビスケットのブリキ缶に隠されていたという話が残っている。金庫に保存すると、いかにも大切なものが入っていると思われるため、ブリキ缶に隠していたそうだ(画像17)。

 道具には、茶葉を詰めた木箱に商標マークを型抜き印刷する版がある(画像18)。「梅・蘭・竹・菊・樹・箶」の6種類ある商標マークは、茶葉の品質レベルを表すものとして使われていたと解説板に書かれている。ガイドの説明からは「竹」の版のみ紛失してしまい、現在展示していないことが分かった。

 他にも、輸出茶が中心の茶屋のため輸出入における検査時に茶箱をこじ開ける「平鑿刀」やランダム検査に遭遇した時に使用する「圓鑿刀」という道具が解説板と共に置かれている(画像19)。

画像15:エリア⑥文化的遺物の展示
画像16:外国宛の手紙・王国忠のノート
    画像17:ブリキ缶     画像18:商標マークの型抜き印刷時に使われた版
画像19:「平鑿刀」            「圓鑿刀」


 エリア⑦には(画像20)、型抜き印刷を体験できるミニチュアや(画像21)、パネルを使って記念写真を撮るスペースを設けている(画像22)。特別展示には若者向けのエリアも作られていると分かる。

画像20:エリア⑦体験型スペース                      画像21:ミニチュアの体験

画像22:記念写真撮影スポット

 エリア⑧は(画像23)、五種類の台湾茶と茶器、「梅雀」と書かれたラベルのブリキ缶が展示されている(画像24、25、26)。特にブリキ缶は「新芳春茶行」がタイに輸出する包種茶が詰めてあり、「梅(梅雀)」「蘭」「竹」「菊(金菊)」という4等級に分けられていた。当時のタイでは「梅(梅雀)」が最高級の商標として登録されていた。この包種茶の缶はどれも比較的高級な茶葉用だったそうだ。ブリキ缶で販売される茶葉は海外向けとして扱われている(鄭欽天、2015)。

 現在は展示エリアになっているが、茶屋時代には焙煎したての茶葉を冷ますところであったことをガイドの説明から知ることができた。台北は湿気が多く茶葉が傷みやすい。風通しを少しでも良くするため、床から1段上げた作りになっており、現在もその形を維持している。

画像23:エリア⑧茶葉と茶器、ブリキ缶の展示
画像24:五種類の台湾茶
        画像25:茶器              26:「梅雀」の茶缶

2-5 製茶工場エリア前の外廊下

 エリア⑨は(画像27)、天井が吹き抜けの外廊下になっている。特に解説板などが置かれておらず通り過ぎてしまいそうな所だ。外廊下の壁には、7つの節入りの竹2本をデザインした水道管がある(画像28)。中華世界では7つの節が入った竹も発展や繁栄などの意味があるため、茶屋の発展を考慮して建物に取り入れられた。

 この竹の縦樋は陶器で作られていたため割れやすい欠点があった。そこで、復元の際にPVCパイプを追加し実用性と耐久性に配慮された。様々な油絵を参照し、最も美しい竹の構造を見つけ模倣しながら、本物の竹のように見えるオリジナルの縦樋が作り上げられた(鄭欽天、2015)。     

 外廊下には、マイカップを持ってくると台湾茶を試飲できる屋台もある(画像29)。

画像27:エリア⑨外廊下
画像28: 竹のデザインの水道管             画像29:試飲できる屋台

2-6 製茶工場

 外廊下を過ぎると、左から順に「揄梗間」「風選間」「焙籠間」という3つの作業区間に分かれた製茶工場の再現エリアに入る。「揄梗間」から順番にみていく。

 エリア⑩の「揄梗間」には(画像30)、摘んだ茶葉についてきた異物(石など)を取り除く「揀梗區」、茶葉を篩にかけて小さな茶葉を下の段に落とし、茎茶は太さごとに、丸い茶葉は大きさごとに選別する「抖篩機」、茶葉を2つの回転ホイールによって細く刻む「滚切式切茶機」が解説板と共に置かれている(画像31、32、33)。

 ガイドの説明から、入り口の左手側の空間はトイレであり現在も残っていることが分かった(画像34)。元々は無かったが部屋を拡張した際に備え付けられた。現在は使用できないのだが、見た目がトイレと分かるため訪客が間違えて使わないようにパーテーションが置かれている。

画像30:エリア⑩「揀梗間」
画像31:「揀梗區」            画像32:「抖篩機」
 画像33:「滚切式切茶機」                画像34:当時使われていたトイレ

 エリア⑪の「風選間」は(画像35)、茶葉を「完整茶葉(形が整っている茶葉)」「不完整茶葉(形が整っていない茶葉)」「破碎茶角(形が崩れている茶葉)」に分ける「風選」や「茶葉専用乾燥機」、「秤」そして「包装機」が解説板と共に紹介されている(画像36、37、38、39)。

画像35:エリア⑪「風選間」
画像36:風選により分けられた茶葉
画像37:乾燥機  画像38: 秤
画像39: 包装機      画像40: 天井にあるハシゴ

 エリア⑫の「焙籠間」は(画像41)、王家の出身地である福建省安渓県の焙煎方法を取り入れており、木炭を砕き炭火を作る作業から茶葉を焙煎する部屋になっている(画像42)。現在は59個の焙煎穴があるが、「新芳春茶行」の全盛期には100個以上の焙煎穴があったと推測される(鄭欽天、2015)。

 解説板には、昔は焙煎する際に煙がこもってしまうことを考慮して、「天窗(天窓)」という換気口を大きく設けた「太子樓」という作りになっていたと書かれている(画像43)。画像43には「屋頂(屋根)」部分までしか見られず、修復工事の際には「太子樓」の構造をやめてしまったため、茶屋時代の全体的な「焙籠間」の構造を知ることは難しい。

 調査時には電気によって籠に入った茶葉を温めている様子を見ることができ、部屋が茶葉の良い香りに包まれていた(画像44)。

画像41:エリア⑫「焙籠間」
画像42:「焙籠間」      画像43:「太子樓」      画像44:茶葉が入った籠

2-7 工場リーダーの部屋

 「焙籠間」を抜けて外廊下に戻ると、左手に小さな部屋がある(画像45)。この部屋には解説板がなく、ガイドの説明によって製茶工場長の休憩部屋であると分かった。休憩時に使用していたと考えられる木製のベッドや製茶時に必要な籠が置かれている(画像46)。部屋の扉には教訓が掲げてあり(画像47)、文中の「桃李」は故事成語の「教え子にとって良いお手本になれるように」という意味を表す。工場長が周りの従業員にとって相応しい存在になることを忘れず留意してもらうよう扉に刻まれている。扉の文章の最初の文字「芳」と最後の文字「春」は3-2と同様に「新芳春茶行」を示す。

画像45:エリア⑬工場リーダーの部屋
画像46:工場リーダーの休憩部屋      画像47:部屋の扉

2-8 階段

 ガイドの説明から、2階につながる階段の手すり部分から下にかけて彫られている「茶」というデザインと、左手側の壁に敷き詰められている亀の甲羅をモチーフにした六角形のデザインを見ることができた(画像48、49、50)。特に、台湾では亀を「長寿・縁の良いもの・吉あるもの」として知られているため「新芳春茶行」の繁栄を込めて取り入れたことが分かる。

画像48:エリア⑭階段
画像49:階段の手すり             画像50:階段の壁

2-9 2階

 以下は言及の無い限りガイドスタッフの解説に基づく。また、ガイドスタッフの言葉は通訳を介している。

画像51:エリア2階

 かつて2階は(画像51)、茶を出荷する前の最終チェックの場所として使われていた(画像52)。一般的には1階で作業するところを、2階で行っているのが「新芳春茶行」の特徴である。昼休憩の際は1階に行くことが出来ないため、飲食店の方から2階へ出向き、弁当などの販売を行っていた。「新芳春茶行」の従業員は50人ほどで当時としては地域の中でも大規模の茶屋であった。

画像52:お茶をチェックする従業員(ガイドの提示資料より)

 2023年2月末現在は、2つの企画展示が混合した場所となっている。エリア⑮、⑯、⑱では「森入生活」という企画の元で台湾の樹木などを用いたデザイン家具やオブジェなどが展示されている(画像53、54、55、57、58)。エリア⑰、⑲~㉑は1階に続き「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」の展示がある。解説板には、王国忠とその家族の日常生活に光を当て、日用品、昔の写真、娯楽生活の3つの側面から晩年の記憶を伝える趣旨が書かれている。映像資料室も設けてあり、そこでは3-1で取り上げた彩八仙の刺繍布について解説されている(画像56)。

画像53:エリア⑮台湾産木材製ギフトボックス

画像54:エリア⑯「森入生活」展示入り口

画像55:エリア⑯台湾産木材製デザイン家具

画像56:エリア⑰映像資料室

画像57:エリア⑱台湾産木材製キャビネットなど

画像58:エリア⑱台湾産木材製キャビネットなど

 エリア⑲は日用品コーナーとして、王家の生活用品や茶屋の経営に関わる物が陳列されている。

 名刺は2代目と3代目の物が残っており、2代目の物は日本式で書かれているのに対し、3代目の物は民国の書き方に変わっているのが確認できる(画像59)。

画像59:エリア⑲名刺

 「茶籌」とは給与を発行した時の交渉札をいう(画像60)。当時は給料を現金ではなく札を渡しており、札を見せることで勤務状況を把握し換金してもらうという形式をとっていた。

 創設者王連和の肖像画シールはタイに茶を輸出する際のパッケージとして使われた(画像60)。「新芳春茶行」開発の歴史の中で、タイ市場は会社の台頭において重要であったと言われている(鄭欽天、2015)。

 その他、日本製胃腸薬のブリキ缶、日本語版と中文版とある台湾日報などが展示されている(画像61、62)。エリア㉒に食器が並べられた長机がある(画像63)*2

画像60:エリア⑲肖像画シール(右)と「茶籌」(左)

画像61:エリア㉑日本製胃腸薬のブリキ缶

画像62:エリア㉑台湾日報(右)

画像63:エリア㉒食卓

 エリア⑳は写真コーナーであり、王連河の白黒写真が4枚立てかけられてある(画像64)。棚に飾られた42枚のポストカードは「始政40周年記念台湾博覧会」への出展を記念したものである(画像65)。博覧会が行われたのは王国忠が生まれた年であり、その年に博覧会は40周年を迎えた。博覧会の規模は大きく、何百人もの人が訪れていた(鄭欽天、2015)。名の知れた大企業でなければ参加できない博覧会にスポンサーとして参加していたことは「新芳春茶行」が大手であったことを示している。

画像64:王連河の写真

画像65:ポストカード

 エリア㉑は娯楽コーナーであり、様々な模様のゲームカードが展示されている。エリア⑲の場所に重複して旅行用カバン、ポータブルターンテーブル、日本製のテレビなどが展示されている(画像66)。スーツケースは全て王連河の旅行用品と思われる(鄭欽天、2015)。

画像66:「尪仔標(ゲームカード)」

 エリア㉓にはトイレが設置されているが、これは当時シャワールームとして使われていた物で、大きさや手洗い場の位置がほぼ変えられていない。シャワーヘッドと湯水調節用蛇口が壁に残っている(画像67)。

画像67:シャワールームの名残

 トイレから出たところの赤レンガの中には「S(サニエル社製)」マークのレンガがある。これは西洋で作られたレンガであり、修復前から使われているレンガが一部保存されている(画像68)。

画像68:「S(サニエル社製)」マークのレンガ

 

2-10 3階

 3階では(画像69)、王家の寝室やキッチンといったプライベートな部屋から茶の取引や品評をする部屋まで、住居と店舗が混合した空間が形成されている。普段は開放されておらず、ガイドツアーでのみ訪れることのできる特別な空間である。自由に3階を訪れる人は王家の末裔であり、先祖の供養に仏壇を見に来ているのだそうだ。普段開放されていない理由を聞くと、「やはりプライベートな空間なので、開放してしまうと末裔の人たちに失礼になること、1階に比べて狭く、古い物があるので沢山の人に上がられると問題があるという理由があります」という。

画像69:エリア3階

 エレベーターで3階に上がると、中心に長机のような台が見られる(画像70)。これは試飲台である。出来上がった茶を味わい品質を評価することを目的としており、富豪や地位が高い顧客はここに招かれ試飲したり茶を購入したりすることができた(画像71)。「新芳春茶行」では、茶を売るだけの商売では無く、茶を製造する工場であるため、味のチェックをする事が出来ない。それによって、味や香りなどに理解がある茶の専門家を呼んで評価を受けていた。試飲台は元々エリア㉕の半屋外に出されていたという。

画像70:エリア㉔試飲台

画像71:試飲する訪客(ガイドの提示資料より)

 半屋外は「川心回廊」と呼ばれる空間である(画像72)。「新芳春茶行」では、全国の茶農家から送られてきた茶をランダムにチェックし、試飲用ティートレイに分割、「上」「中」「下」の評価を行ってから茶の注文を出すか判断をしていた。茶の季節には「川心回廊」の試飲台に30~40セットの茶盆が並んだ。「川心回廊」は、台湾の茶室で保存されている唯一の茶の試飲回廊であり、台湾でここまで完全に残ったものは他にないと言われている(鄭欽天、2015)。王家のプライベートスペースには一般に他人を入れることはない。しかし、そうであるのにも関わらず、訪客を招き入れていた点でとても特別である。王家のプライベートスペースの敷居を下げることも、1種のおもてなしであった。また、3階の床は2階への階段と同様に一面の亀甲模様をしている。

画像72:エリア㉕「川心回廊」

 エリア㉖に位置する寝室にはベッドが置かれている(画像73)。「新芳春茶行」で最も精巧で保存状態が良いと言われており、脚が8つあるのが特徴的である。台湾の古い考えでは脚が4つあるものは「机」になるので、机の上ではなく正式な「ベッド」で寝たいという思いから設計された。ベッドにはガラス絵の装飾やキャビネットの引き出し、ハンガーなど繊細な装飾が施され、典型的な台湾の古代様式が使われている(鄭欽天、2015)(画像74)。蝶々や蝙蝠も彫られており、入り口の蝶の絵と同様に「祝福」の意味が込められている。王国忠を出産したベッドとしても知られる。

画像73:エリア㉖寝室とベッド

画像74:古代様式の装飾


 エレベーターから左手に進み「川心回廊」を抜けると、エリア㉗の祖先の位牌を祀る祖霊舎を挟んで同じ間取りの部屋が両側にある。エリア㉘は、1930年から残っている現代で言うリビングスペース、応接間の部屋がある(画像75)。つり下がっている照明は「ミルクシャンデリア」と呼ばれており、銀行にある物と同じ物を使っている。財力があることや経営が繁盛していることを示す効果がある。

画像75:エリア㉘応接間

 部屋の前にあるエリア㉙には2階と繋がる階段がある(画像76)。今は使用出来ない。当時のまま泥棒を防ぐための板が掛けられている。

画像76:エリア㉙泥棒対策された階段

 奥のエリア㉚には、当時のキッチンが残されている(画像77)。キッチンの奥には廊下と部屋があるという。ガイドは、「3階は普段開放していない場所なので皆さんが撮ったものはとても貴重な資料だと思います。特にキッチンの部分はまだ誰も撮っていないと思います」と語っていた。

画像77:エリア㉚キッチン

 反対側のエリア㉛では、2階と繋がっている階段が向かい合わせに設置されている(画像78)。階段が空間の端と端にあるのは、生活している女性や子供が外部と接触するのを防ぐためである。応接間で見たように、階段は部屋の近くにあるため、誰にも会わずに移動をすることが可能になる。中心の空間は訪客の行き来があるが、隅の階段や通路を使って接触を避けることができたと考えられる。

画像78:エリア㉛向かい合わせの階段の一つ

 また、エリア㉜の上に続く階段は屋根裏部屋に繋がっており、倉庫として生産に関わる道具や機械が収納されていたらしい(画像79)。なお屋根裏部屋は観覧出来ない。

画像79:エリア㉜屋根裏への階段

 

3.まとめ

 「新芳春茶行」は台湾だけでなく海外にも茶を普及させた大規模な製茶工場である。製茶には独自の技があり、建物には繁栄や幸福を願ったデザインが散りばめられている。

 1、2階については、ネット記事で見た「別境書房」の営業、グッズと茶葉の販売は終了してしまったが、現在も企画展示を開催しており「新芳春茶行」が多くの人に語り継がられるように活動を行なっている。3階は展示エリアではなく現在も王家の末裔が先祖の供養へ訪れているところである。そのため、「新芳春茶行」は「古跡」としての役割を保ちながらも王家のプライベート空間を守り続けていることが分かる。

 

<参考文献>

鄭欽天 中華民国104年「新芳春茶行 吉蹟甦醒 風華再起・富濡文我家盛『新芳春茶行 吉蹟甦醒 風華再起・富濡文○ 發跡盛鼎』興富發建設股份有限公司

ペコたいわん「新芳春茶行、趣ある老房子」2023年7月12日閲覧

煎茶手帖 堝盧 karo台湾茶の歴史を今に伝える「新芳春茶行」」2023年7月12日閲覧

undiscovered taipei「[芳春店]お茶パッケージにみる日常」2023年7月12日閲覧

台湾ガイド紹介所「新芳春茶行(台北)」2023年7月12日閲覧

*1:調査ではガイドスタッフの黃薇臻さん、通訳の渡邊有香さんにお世話になりました。心より感謝申し上げます。

*2:王家の食卓をイメージしているのか、「森入生活」の展示なのかは不明である。