「新芳春茶行」訪問レポート(2023年2月)

 

 

 

1.はじめに

 COVID-19により、日本人観光客が「新芳春茶行」に訪れる機会が減少した。1階2階の企画展示エリアについて2023年2月の時点で開催されていた「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」、「森入生活」を紹介する。また、「新芳春茶行」のガイドスタッフのもと、先行情報から知ることができなかった建物のデザインやそこに込められた意味、入場制限がある3階について説明する*1

 

2.新芳春茶行の展示内容

2-1 建物と外観

 王家は代々茶を中心に経営してきた家系で、現在の「新芳春茶行」は1934年に2代目王連河によって建てられた。「新芳春茶行」は、中華と西洋のスタイルが融合した住宅と商業の複合施設となっている。このような施設が完全な状態で保存されている例は少ない。表は商売、裏は民家という伝統的な形をとらず、1階を商業スペースと製茶工場、2階を作業スペース、3階をプライベートスペースという稀な形をとっている。大稲埕の茶商は廈門や南陽などと交流が深く、取引者の大半が外国人であったため、西洋式の建物を好んで建てたといわれている。

 当館の資料からは、入り口のアーケードにはかつて赤い布が掛けられていたことが分かる(画像1)。今は見ることが出来ず、吊してあった名残の鉤のみが見られる。赤い布は台湾で最も長く現存する彩八仙の刺繍布であり、1934年「新芳春茶行」が完成したときに掛けるよう命じられた。80年以上の歴史があり、長さは15メートルに及ぶ。台湾の民間伝承では、ドアのまぐさに彩八仙を吊すと悪霊を抑える効果があると言われている。

 「彩」という言葉は「財」という発音表記から「福を迎え、富を受け入れる」意味も持つ。赤い布には、海を渡る彩八仙(鍾離權、張果老呂洞賓、李鐵拐、何仙姑、藍采和、韓湘子和曹國舅八人)と「新」「芳」「春」「行」の四文字が刺繍されている(鄭欽天、2015)。

画像1:かつてまぐさに掛けられていた彩八仙の刺繍布(展示資料より)

2-2  入り口の扉

 「新芳春茶行」の両開きの扉には「対聯」の対句が記されている(画像2、3)。この対句の読み方は、ガイドの説明がなければ知ることが不可能であった。最初の2文字は、左門に書かれた文字と右門にかかれた文字を横読みする仕組みになっており、「芳」と「春」から博物館の名前「新芳春茶行」、「尋」と「採」から「尋ねて行って茶を採る」という意味を示している。両側の門にそれぞれ残る2語は、縦読みになり「顧渚」は「浙江省」、「蒙山」は「四川省」など中国大陸の茶の名産地を表す。名産地を記した理由は、当時茶屋だった「新芳春茶行」が中国大陸から来た本物の茶であることを訪客に知ってもらい、信頼を得るためであった。

画像2: 入り口                             画像3:「対聯」

 この対句を囲っている金色の縁の四角には「蝴蝶」の絵がある(画像4)。國語の発音で蝶は<die>、高齢や老人を表す「耋」と同じ発音のため、「蝴蝶」は「長寿を表す縁起の良いもの」として台湾で扱われており、「新芳春茶行」の扉の「蝴蝶」は商売繁盛を意味している。

画像4:「蝴蝶」の絵


2-3 常設展示

 エリア①~③は常設展示であり、「新芳春茶行」の年表や3代目王国忠に関する掲示板、茶屋時代の事務道具と見取り図の展示から構成されている。

建物に入ってすぐの左手側に、エリア①の年表「台茶走出会世界走進来(台湾に渡り世界に進出)」がある(画像5、6)。王家が1913年に中国の福建省から台湾へ渡り現在の「新芳春茶行」に至るまでを記載している。

画像5:エリア①年表「台茶走出会世界走進来(台湾に渡り世界に進出)」

画像6:「台茶走出会世界走進来(台湾に渡り世界に進出)」

 向かい側のエリア②には、3代目王国忠が輸出茶業に勤めて生涯を終えるまでの主な流れと彼の人柄について記した掲示版がある(画像7、8)。「勤勉で倹約家」「仕事に真面目で誰よりも慎重な人」「保守的で正直な人」といった人柄が、友人や家族のインタビュー内容を元に説明されている。

画像7:エリア②台湾茶地園(台湾茶園)           画像8:「台湾茶地園(台湾の茶園)」

 エリア③には(画像9)、当時使用していた事務道具や建物の見取り図がある(画像10)。この赤レンガは(画像11)、日本製品でありながら「TR(台湾レンガ)」という名称である。修復工事の際にほとんど捨てられてしまったが、日治時代の影響を受けていた物と分かるため、現在一部だけをエリア③に保存している。質の良いレンガとしても台湾で周知されており、よく使われていた。

画像9:エリア③新芳春茶行的歴史(新芳春茶行の歴史)
画像10:「新芳春茶行的歴史(新芳春茶行の歴史)」

画像11:「TR(台湾レンガ)」

2-4 特別展示

常設展示を通り過ぎると、特別展示エリアに入る。現地調査時に開催していた展示は、「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」であり(画像12)、タイトルから分かるとおり3代目王国忠時代の「新芳春茶行」について焦点を当てた内容になっている。エリア④から⑧までを順番にみていく。

画像12:「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」

 エリア④で(画像13)、王国忠の時代から現在の「古跡」に至るまでの「新芳春茶行」と台湾政府のやりとりをまとめた3つの解説板である(画像14)。それによると、この建物は2005年に「歴史建築物」として認定された後、都市計画のために建物全体が取り壊し危機に直面したとある。幸いにも、台北市史跡検討委員会は文化資源の価値を考慮し「新芳春茶行」の保存に合意したため取り壊しを免れ、現在は「古跡」指定になっている。また、2011年から2015年の修復工事の際には、3代目王国忠が建物の永存を望み、長期の交渉を経た後に「新芳春茶行」を政府へ寄贈した。2016年に「新芳春茶行」が一般公開されるまでに起きたこれらの事実は、今回の展示から知ることができる。

 隣のエリア⑤では茶屋時代の関係者にインタビューした映像が公開されている(画像13)。

画像13:エリア④・⑤解説板とスクリーン
画像14:「新芳春茶行」が一般公開するまでの歴史の解説板

 エリア⑥には(画像15)、大きなショーケースがあり王国忠が使っていた書類や道具が展示している。

 書類には、彼が輸出茶の経営時代に書いていた外国向けの手紙や「新芳春茶行」の茶の種類や価格、他店との取引を記録したノートがある(画像16)。内容は機密情報であったため、ノートは関係者以外に見られないようビスケットのブリキ缶に隠されていたという話が残っている。金庫に保存すると、いかにも大切なものが入っていると思われるため、ブリキ缶に隠していたそうだ(画像17)。

 道具には、茶葉を詰めた木箱に商標マークを型抜き印刷する版がある(画像18)。「梅・蘭・竹・菊・樹・箶」の6種類ある商標マークは、茶葉の品質レベルを表すものとして使われていたと解説板に書かれている。ガイドの説明からは「竹」の版のみ紛失してしまい、現在展示していないことが分かった。

 他にも、輸出茶が中心の茶屋のため輸出入における検査時に茶箱をこじ開ける「平鑿刀」やランダム検査に遭遇した時に使用する「圓鑿刀」という道具が解説板と共に置かれている(画像19)。

画像15:エリア⑥文化的遺物の展示
画像16:外国宛の手紙・王国忠のノート
    画像17:ブリキ缶     画像18:商標マークの型抜き印刷時に使われた版
画像19:「平鑿刀」            「圓鑿刀」


 エリア⑦には(画像20)、型抜き印刷を体験できるミニチュアや(画像21)、パネルを使って記念写真を撮るスペースを設けている(画像22)。特別展示には若者向けのエリアも作られていると分かる。

画像20:エリア⑦体験型スペース                      画像21:ミニチュアの体験

画像22:記念写真撮影スポット

 エリア⑧は(画像23)、五種類の台湾茶と茶器、「梅雀」と書かれたラベルのブリキ缶が展示されている(画像24、25、26)。特にブリキ缶は「新芳春茶行」がタイに輸出する包種茶が詰めてあり、「梅(梅雀)」「蘭」「竹」「菊(金菊)」という4等級に分けられていた。当時のタイでは「梅(梅雀)」が最高級の商標として登録されていた。この包種茶の缶はどれも比較的高級な茶葉用だったそうだ。ブリキ缶で販売される茶葉は海外向けとして扱われている(鄭欽天、2015)。

 現在は展示エリアになっているが、茶屋時代には焙煎したての茶葉を冷ますところであったことをガイドの説明から知ることができた。台北は湿気が多く茶葉が傷みやすい。風通しを少しでも良くするため、床から1段上げた作りになっており、現在もその形を維持している。

画像23:エリア⑧茶葉と茶器、ブリキ缶の展示
画像24:五種類の台湾茶
        画像25:茶器              26:「梅雀」の茶缶

2-5 製茶工場エリア前の外廊下

 エリア⑨は(画像27)、天井が吹き抜けの外廊下になっている。特に解説板などが置かれておらず通り過ぎてしまいそうな所だ。外廊下の壁には、7つの節入りの竹2本をデザインした水道管がある(画像28)。中華世界では7つの節が入った竹も発展や繁栄などの意味があるため、茶屋の発展を考慮して建物に取り入れられた。

 この竹の縦樋は陶器で作られていたため割れやすい欠点があった。そこで、復元の際にPVCパイプを追加し実用性と耐久性に配慮された。様々な油絵を参照し、最も美しい竹の構造を見つけ模倣しながら、本物の竹のように見えるオリジナルの縦樋が作り上げられた(鄭欽天、2015)。     

 外廊下には、マイカップを持ってくると台湾茶を試飲できる屋台もある(画像29)。

画像27:エリア⑨外廊下
画像28: 竹のデザインの水道管             画像29:試飲できる屋台

2-6 製茶工場

 外廊下を過ぎると、左から順に「揄梗間」「風選間」「焙籠間」という3つの作業区間に分かれた製茶工場の再現エリアに入る。「揄梗間」から順番にみていく。

 エリア⑩の「揄梗間」には(画像30)、摘んだ茶葉についてきた異物(石など)を取り除く「揀梗區」、茶葉を篩にかけて小さな茶葉を下の段に落とし、茎茶は太さごとに、丸い茶葉は大きさごとに選別する「抖篩機」、茶葉を2つの回転ホイールによって細く刻む「滚切式切茶機」が解説板と共に置かれている(画像31、32、33)。

 ガイドの説明から、入り口の左手側の空間はトイレであり現在も残っていることが分かった(画像34)。元々は無かったが部屋を拡張した際に備え付けられた。現在は使用できないのだが、見た目がトイレと分かるため訪客が間違えて使わないようにパーテーションが置かれている。

画像30:エリア⑩「揀梗間」
画像31:「揀梗區」            画像32:「抖篩機」
 画像33:「滚切式切茶機」                画像34:当時使われていたトイレ

 エリア⑪の「風選間」は(画像35)、茶葉を「完整茶葉(形が整っている茶葉)」「不完整茶葉(形が整っていない茶葉)」「破碎茶角(形が崩れている茶葉)」に分ける「風選」や「茶葉専用乾燥機」、「秤」そして「包装機」が解説板と共に紹介されている(画像36、37、38、39)。

画像35:エリア⑪「風選間」
画像36:風選により分けられた茶葉
画像37:乾燥機  画像38: 秤
画像39: 包装機      画像40: 天井にあるハシゴ

 エリア⑫の「焙籠間」は(画像41)、王家の出身地である福建省安渓県の焙煎方法を取り入れており、木炭を砕き炭火を作る作業から茶葉を焙煎する部屋になっている(画像42)。現在は59個の焙煎穴があるが、「新芳春茶行」の全盛期には100個以上の焙煎穴があったと推測される(鄭欽天、2015)。

 解説板には、昔は焙煎する際に煙がこもってしまうことを考慮して、「天窗(天窓)」という換気口を大きく設けた「太子樓」という作りになっていたと書かれている(画像43)。画像43には「屋頂(屋根)」部分までしか見られず、修復工事の際には「太子樓」の構造をやめてしまったため、茶屋時代の全体的な「焙籠間」の構造を知ることは難しい。

 調査時には電気によって籠に入った茶葉を温めている様子を見ることができ、部屋が茶葉の良い香りに包まれていた(画像44)。

画像41:エリア⑫「焙籠間」
画像42:「焙籠間」      画像43:「太子樓」      画像44:茶葉が入った籠

2-7 工場リーダーの部屋

 「焙籠間」を抜けて外廊下に戻ると、左手に小さな部屋がある(画像45)。この部屋には解説板がなく、ガイドの説明によって製茶工場長の休憩部屋であると分かった。休憩時に使用していたと考えられる木製のベッドや製茶時に必要な籠が置かれている(画像46)。部屋の扉には教訓が掲げてあり(画像47)、文中の「桃李」は故事成語の「教え子にとって良いお手本になれるように」という意味を表す。工場長が周りの従業員にとって相応しい存在になることを忘れず留意してもらうよう扉に刻まれている。扉の文章の最初の文字「芳」と最後の文字「春」は3-2と同様に「新芳春茶行」を示す。

画像45:エリア⑬工場リーダーの部屋
画像46:工場リーダーの休憩部屋      画像47:部屋の扉

2-8 階段

 ガイドの説明から、2階につながる階段の手すり部分から下にかけて彫られている「茶」というデザインと、左手側の壁に敷き詰められている亀の甲羅をモチーフにした六角形のデザインを見ることができた(画像48、49、50)。特に、台湾では亀を「長寿・縁の良いもの・吉あるもの」として知られているため「新芳春茶行」の繁栄を込めて取り入れたことが分かる。

画像48:エリア⑭階段
画像49:階段の手すり             画像50:階段の壁

2-9 2階

 以下は言及の無い限りガイドスタッフの解説に基づく。また、ガイドスタッフの言葉は通訳を介している。

画像51:エリア2階

 かつて2階は(画像51)、茶を出荷する前の最終チェックの場所として使われていた(画像52)。一般的には1階で作業するところを、2階で行っているのが「新芳春茶行」の特徴である。昼休憩の際は1階に行くことが出来ないため、飲食店の方から2階へ出向き、弁当などの販売を行っていた。「新芳春茶行」の従業員は50人ほどで当時としては地域の中でも大規模の茶屋であった。

画像52:お茶をチェックする従業員(ガイドの提示資料より)

 2023年2月末現在は、2つの企画展示が混合した場所となっている。エリア⑮、⑯、⑱では「森入生活」という企画の元で台湾の樹木などを用いたデザイン家具やオブジェなどが展示されている(画像53、54、55、57、58)。エリア⑰、⑲~㉑は1階に続き「人在草木間 新芳春茶人王国忠回顧展」の展示がある。解説板には、王国忠とその家族の日常生活に光を当て、日用品、昔の写真、娯楽生活の3つの側面から晩年の記憶を伝える趣旨が書かれている。映像資料室も設けてあり、そこでは3-1で取り上げた彩八仙の刺繍布について解説されている(画像56)。

画像53:エリア⑮台湾産木材製ギフトボックス

画像54:エリア⑯「森入生活」展示入り口

画像55:エリア⑯台湾産木材製デザイン家具

画像56:エリア⑰映像資料室

画像57:エリア⑱台湾産木材製キャビネットなど

画像58:エリア⑱台湾産木材製キャビネットなど

 エリア⑲は日用品コーナーとして、王家の生活用品や茶屋の経営に関わる物が陳列されている。

 名刺は2代目と3代目の物が残っており、2代目の物は日本式で書かれているのに対し、3代目の物は民国の書き方に変わっているのが確認できる(画像59)。

画像59:エリア⑲名刺

 「茶籌」とは給与を発行した時の交渉札をいう(画像60)。当時は給料を現金ではなく札を渡しており、札を見せることで勤務状況を把握し換金してもらうという形式をとっていた。

 創設者王連和の肖像画シールはタイに茶を輸出する際のパッケージとして使われた(画像60)。「新芳春茶行」開発の歴史の中で、タイ市場は会社の台頭において重要であったと言われている(鄭欽天、2015)。

 その他、日本製胃腸薬のブリキ缶、日本語版と中文版とある台湾日報などが展示されている(画像61、62)。エリア㉒に食器が並べられた長机がある(画像63)*2

画像60:エリア⑲肖像画シール(右)と「茶籌」(左)

画像61:エリア㉑日本製胃腸薬のブリキ缶

画像62:エリア㉑台湾日報(右)

画像63:エリア㉒食卓

 エリア⑳は写真コーナーであり、王連河の白黒写真が4枚立てかけられてある(画像64)。棚に飾られた42枚のポストカードは「始政40周年記念台湾博覧会」への出展を記念したものである(画像65)。博覧会が行われたのは王国忠が生まれた年であり、その年に博覧会は40周年を迎えた。博覧会の規模は大きく、何百人もの人が訪れていた(鄭欽天、2015)。名の知れた大企業でなければ参加できない博覧会にスポンサーとして参加していたことは「新芳春茶行」が大手であったことを示している。

画像64:王連河の写真

画像65:ポストカード

 エリア㉑は娯楽コーナーであり、様々な模様のゲームカードが展示されている。エリア⑲の場所に重複して旅行用カバン、ポータブルターンテーブル、日本製のテレビなどが展示されている(画像66)。スーツケースは全て王連河の旅行用品と思われる(鄭欽天、2015)。

画像66:「尪仔標(ゲームカード)」

 エリア㉓にはトイレが設置されているが、これは当時シャワールームとして使われていた物で、大きさや手洗い場の位置がほぼ変えられていない。シャワーヘッドと湯水調節用蛇口が壁に残っている(画像67)。

画像67:シャワールームの名残

 トイレから出たところの赤レンガの中には「S(サニエル社製)」マークのレンガがある。これは西洋で作られたレンガであり、修復前から使われているレンガが一部保存されている(画像68)。

画像68:「S(サニエル社製)」マークのレンガ

 

2-10 3階

 3階では(画像69)、王家の寝室やキッチンといったプライベートな部屋から茶の取引や品評をする部屋まで、住居と店舗が混合した空間が形成されている。普段は開放されておらず、ガイドツアーでのみ訪れることのできる特別な空間である。自由に3階を訪れる人は王家の末裔であり、先祖の供養に仏壇を見に来ているのだそうだ。普段開放されていない理由を聞くと、「やはりプライベートな空間なので、開放してしまうと末裔の人たちに失礼になること、1階に比べて狭く、古い物があるので沢山の人に上がられると問題があるという理由があります」という。

画像69:エリア3階

 エレベーターで3階に上がると、中心に長机のような台が見られる(画像70)。これは試飲台である。出来上がった茶を味わい品質を評価することを目的としており、富豪や地位が高い顧客はここに招かれ試飲したり茶を購入したりすることができた(画像71)。「新芳春茶行」では、茶を売るだけの商売では無く、茶を製造する工場であるため、味のチェックをする事が出来ない。それによって、味や香りなどに理解がある茶の専門家を呼んで評価を受けていた。試飲台は元々エリア㉕の半屋外に出されていたという。

画像70:エリア㉔試飲台

画像71:試飲する訪客(ガイドの提示資料より)

 半屋外は「川心回廊」と呼ばれる空間である(画像72)。「新芳春茶行」では、全国の茶農家から送られてきた茶をランダムにチェックし、試飲用ティートレイに分割、「上」「中」「下」の評価を行ってから茶の注文を出すか判断をしていた。茶の季節には「川心回廊」の試飲台に30~40セットの茶盆が並んだ。「川心回廊」は、台湾の茶室で保存されている唯一の茶の試飲回廊であり、台湾でここまで完全に残ったものは他にないと言われている(鄭欽天、2015)。王家のプライベートスペースには一般に他人を入れることはない。しかし、そうであるのにも関わらず、訪客を招き入れていた点でとても特別である。王家のプライベートスペースの敷居を下げることも、1種のおもてなしであった。また、3階の床は2階への階段と同様に一面の亀甲模様をしている。

画像72:エリア㉕「川心回廊」

 エリア㉖に位置する寝室にはベッドが置かれている(画像73)。「新芳春茶行」で最も精巧で保存状態が良いと言われており、脚が8つあるのが特徴的である。台湾の古い考えでは脚が4つあるものは「机」になるので、机の上ではなく正式な「ベッド」で寝たいという思いから設計された。ベッドにはガラス絵の装飾やキャビネットの引き出し、ハンガーなど繊細な装飾が施され、典型的な台湾の古代様式が使われている(鄭欽天、2015)(画像74)。蝶々や蝙蝠も彫られており、入り口の蝶の絵と同様に「祝福」の意味が込められている。王国忠を出産したベッドとしても知られる。

画像73:エリア㉖寝室とベッド

画像74:古代様式の装飾


 エレベーターから左手に進み「川心回廊」を抜けると、エリア㉗の祖先の位牌を祀る祖霊舎を挟んで同じ間取りの部屋が両側にある。エリア㉘は、1930年から残っている現代で言うリビングスペース、応接間の部屋がある(画像75)。つり下がっている照明は「ミルクシャンデリア」と呼ばれており、銀行にある物と同じ物を使っている。財力があることや経営が繁盛していることを示す効果がある。

画像75:エリア㉘応接間

 部屋の前にあるエリア㉙には2階と繋がる階段がある(画像76)。今は使用出来ない。当時のまま泥棒を防ぐための板が掛けられている。

画像76:エリア㉙泥棒対策された階段

 奥のエリア㉚には、当時のキッチンが残されている(画像77)。キッチンの奥には廊下と部屋があるという。ガイドは、「3階は普段開放していない場所なので皆さんが撮ったものはとても貴重な資料だと思います。特にキッチンの部分はまだ誰も撮っていないと思います」と語っていた。

画像77:エリア㉚キッチン

 反対側のエリア㉛では、2階と繋がっている階段が向かい合わせに設置されている(画像78)。階段が空間の端と端にあるのは、生活している女性や子供が外部と接触するのを防ぐためである。応接間で見たように、階段は部屋の近くにあるため、誰にも会わずに移動をすることが可能になる。中心の空間は訪客の行き来があるが、隅の階段や通路を使って接触を避けることができたと考えられる。

画像78:エリア㉛向かい合わせの階段の一つ

 また、エリア㉜の上に続く階段は屋根裏部屋に繋がっており、倉庫として生産に関わる道具や機械が収納されていたらしい(画像79)。なお屋根裏部屋は観覧出来ない。

画像79:エリア㉜屋根裏への階段

 

3.まとめ

 「新芳春茶行」は台湾だけでなく海外にも茶を普及させた大規模な製茶工場である。製茶には独自の技があり、建物には繁栄や幸福を願ったデザインが散りばめられている。

 1、2階については、ネット記事で見た「別境書房」の営業、グッズと茶葉の販売は終了してしまったが、現在も企画展示を開催しており「新芳春茶行」が多くの人に語り継がられるように活動を行なっている。3階は展示エリアではなく現在も王家の末裔が先祖の供養へ訪れているところである。そのため、「新芳春茶行」は「古跡」としての役割を保ちながらも王家のプライベート空間を守り続けていることが分かる。

 

<参考文献>

鄭欽天 中華民国104年「新芳春茶行 吉蹟甦醒 風華再起・富濡文我家盛『新芳春茶行 吉蹟甦醒 風華再起・富濡文○ 發跡盛鼎』興富發建設股份有限公司

ペコたいわん「新芳春茶行、趣ある老房子」2023年7月12日閲覧

煎茶手帖 堝盧 karo台湾茶の歴史を今に伝える「新芳春茶行」」2023年7月12日閲覧

undiscovered taipei「[芳春店]お茶パッケージにみる日常」2023年7月12日閲覧

台湾ガイド紹介所「新芳春茶行(台北)」2023年7月12日閲覧

*1:調査ではガイドスタッフの黃薇臻さん、通訳の渡邊有香さんにお世話になりました。心より感謝申し上げます。

*2:王家の食卓をイメージしているのか、「森入生活」の展示なのかは不明である。