台北市立美術館企画展『狂八〇』レヴュー

 

木部 規代

 

1.はじめに

 日本人向けの台湾観光の情報は、食べ物、雑貨、リノベーションスポットなどに集中しており、それらと比較すると美術館に関するものは極めて少ない。リノベーションされた「NEW OPEN スポット」として順益台湾美術館が1/4ページ分を使って紹介される中で、「台湾のアート作品を幅広く展示(略)作品を通して、台湾の歴史と文化にふれられる貴重な美術館だ」等の解説があるのみだ(JTBパブリッシング、2022)。他の美術館も同様で、外観の紹介にとどまっており、展示内容および企画展について、日本語での詳細な情報が記載されているものは故宮博物院だけだった。

 ここでは現代台湾社会の美術界がどのようなものなのかについて理解を深める一環として、現地滞在期間中に台北市立美術館で開催されていた『狂八〇』に焦点を当て、その展示内容について詳細に報告する。

 

2. 台北市立美術館企画展『狂八〇』について

2-1 会場:台北市立美術館 (Taipei Fine Art Museum)

 同美術館は1983年に台湾初の公立美術館として設立された。設立の目的は次の二点である。第一に現代美術を保存し、研究開発を促進することであり、第二に国民が美的感覚を持ち、創造性、分析力を持つ社会を実現するための教育を推進することである。

 建物は地下1階、1階、2階、3階回廊の4層構造となっており、企画展の他にも十分な展示スペース、活動スペースがある。(画像1)

 入館料は一般NT$30、6歳未満の子どもと市内の高齢者(65歳以上、原住民は55歳以上)及び障がい者は無料である。学生はNT$15であるが、土曜日は美術館独自に設定された「勉強の日」として無料となっていた。(画像2)

画像1: 台北市立美術館(南側)

画像2: 2023.2.25㈯ 16時頃 チケットブース前の様子

2-2『狂八〇』の概要

 この展覧会は2022.12.3~2023.2.26の約3ヶ月間 、サブタイトルを「跨領域靈光出現的時代 The Wild Eighties: Dawn of a Transdisciplinary Taiwan」として開催されていた(画像3)。

 会期最終の2月末に4回訪問し、展示物を鑑賞すると同時に解説とほぼすべての展示物を写真撮影した。タイトルにある『狂』という中国語は、中日辞典によれば「精神が異常である,気が狂っている」「(主にうれしい場合)あたり構わず,気も狂わんばかりに」「高慢である,気違いじみている」「激しい,勢いがすさまじい」といった意味である。英語のサブタイトルにある ‘Wild’ と1980 年代の台湾の民主化を求める社会情勢からすれば、日本語の解釈としては「激動」が適当であろう。

 この展覧会は80年代を中心に、60~70年代から90年代以降までを含む台湾の現代史を6つのセクションに分けて説明している。絵画、彫刻の展示を見るだけでなく、演劇や音楽のライブ映像、レコードなども視聴できる。また、それぞれのセクションへ移動する際、次の部屋が見えるくりぬきがあったり、壁越しに歌が聞こえてきたり、次のブースへの回廊にも作品を展示するなどの工夫があった(画像4)。

 画像3: 会場入り口 展覧会のタイトル(左壁面に光によるインスタレーション

画像4: 展示会場見取り図 (ガイドブックの図にセクションナンバー、出入り口と動線を加筆)

2-3 展示内容

 本レポートでは各セクションを順に紹介する。それぞれのセクションに中国語・英語タイトルがあった。(各タイトルのあとに日本語訳を加えている。)なお作者らの氏名は展示物の原文どおりとし敬称を省略している。

①前言・七〇 Prologue・1970s(序文)

 このセクションの展示は、1970年代のものである。ここで俞大調が紹介されていた。彼は中国オペラの専門家であり、国立台湾大学演劇学科を設立するなどして、80年代以降に活躍する芸術家たちを指導した人物であった。展示物としては演劇「平劇」のポスター(画像5)の他、雑誌、書籍類があった。英語の公演雑誌 『ECHO』、1978年の『月間獅子芸術』(画像6)、郷土文学論争を起こした『仙人掌』等(画像7)もある。

 展示されていた写真、新聞等は当時の社会背景を示している。中華人民共和国との国交を結ぶことにより、台湾と断交したことに抗議するためアメリカ代表団の車に卵を投げつけている現場写真(画像8)や美麗島事件に関わる施明徳(雑誌『美麗島』社の代表)の賞金付き手配書(画像9)なども見ることができる。 

画像5: 平劇ポスター

画像6: 月間獅子芸術

画像7: 仙人掌等の雑誌

画像8: アメリカ代表団へ抗議する様子の報道写真

画像9:施明徳の賞金付き手配書
②前衛與實驗 Avant-Garde and Experimental(前衛と実験)

 1980年代は30年間続いた戒厳令が終わろうとしていた時代だった(1987年に戒厳令解除)。このセクションではアヴァンギャルド(前衛的で、先駆けとなる、革新的な実験)といえるものを展示している。

 この台湾社会が民主化されていく流れの中で台北市立美術館が開館した。数千年にわたる王朝の宝物を展示する故宮博物院に対する現代アートのためである。ここでは開館当時の新聞記事(画像10)、当時の展示物や屋外パフォーマンスの様子の写真等に加え、設立許可証(画像11)等の資料まで展示されている。

 また、開館時から屋外にあり、現在は正面入り口の階段横にある赤色のオブジェ(画像12)にはアートと政治が絡んだ事件の歴史がある。このオブジェは見る角度により中国共産党のマークに似ていた(画像13)ため、一時銀色に塗りかえられた。

 1980年代は、台湾のダダイズムの時代でもあり、従来のアートに対抗するかのような空間を利用した表現やインスタレーションが行われた。発表当時の展示を再現しているものもあった。

 一例として、陳介人の『椅子・位置“In What Position?”』 は投影機を利用したものだった(画像14、15)。王俊傑の『息壌 ”Xirang” “Xirang2”』は、既存の社会、美術館の在り方に反対するため、空港の空きスペースや路上で行われたパフォーマンスであった。今回は映写機でその様子が見られる(画像16)。林鉅の作品は90日間、外部との接触を一切断ち切りスタジオ内にこもり、毎日続けたセルフィーを順に投影するというものだ。その作品は大きな壁面を利用して展示されている(画像17-20)。また他に、砂浜、河原、原野を舞台にして上半身裸の団体がパフォーマンスをする様子を記録した写真もある(画像21)。

 演劇でも新しい戯曲が書かれ始め、展覧会ではその台本やチラシが置かれるだけでなく、当時のステージ映像を見ることができる。

画像10:『英文中國郵報』(China Postの台北市立美術館開館を伝える記事1983.12.02)

画像11: 台北市立美術館開館設立許可証

画像12: 屋外オブジェのひとつ(正面玄関から見たもの)

画像13: 画像12のオブジェは美術館の北側のある場所からは中国共産党のマートにも見える

画像14: 陳介人『椅子・位置“In What Position?” 』

画像15: 上の作品に使用されていた投影機

画像16: 王俊傑『息壌“Xirang”』
画像17-20: 林鉅『純繪畫實驗閉關90天 “The Experiment of Pure Painting, Solitary Confinement During 90 Days” 』

画像21: 荒野、砂浜などを下着1枚のみ、素足で移動しながらのパフォーマンス
③政治與禁忌 Politics and Taboo(政治とタブー)

 このセクションの展示はタブーの多い時代における芸術活動に焦点を当てたものである。開催日が10月25、26日で「拾月」とタイトルのつけられた演劇の展示コーナーでは、「注劇団」「歓緒劇団」「河岸劇団」という劇団と王俊傑による作品が写真、ビデオで見ることができる(画像22、23)。これらの中には劇場だけでなく、放置された建物や沿岸などで開催され、観客も演者も移動しながら行われていたものもある(画像24)。

 さらにこのブースでは当時の音楽にも触れることができる。人気歌手、羅大佑に関するものは歌詞カードの展示以外に、レコードをヘッドフォンで聴いたり、その頃のコンサートの様子を大画面のスクリーンで見られたりする(画像25、26、27)。その音声は隣のセクションにいても聞こえるほどだった。

 またこのセクションでも差別に関する事件等のさまざまな報道や芸術活動が取り上げられている。美麗島事件、李師科の事件[1]、原住民の権利を求める集会、湯英伸事件[2](画像28)、国会の全面再選、総統の直接選挙を求めるデモの写真(画像29)、ジェンダー差別に対する運動の写真や記事、それらの問題を含む映画のポスター、その映画の撮影現場写真などが展示されている。また中華民国の歴史についての雑誌『20世紀台湾1982』もある(画像30)。

[1] 原住民の李師科が銀行強盗で500万元を奪ったもののそのほとんどを使用しなかったが銃殺刑になり、その罰が多くの国民に疑問視された事件。

[2] 事件当時、未成年だった湯英伸が原住民差別から殺人を犯し死刑となった事件

 

 その次のスペースにも社会問題の展示が続いている。原子力発電所の問題、五・二〇農民運動に関する新聞の他、中国の学生運動を支持するため、100人以上の歌手が作成した“Wounds of History”の録音、その数か月後に起こった天安門事件後の報道の歪曲に対しての批判等の記事がある。性マイノリティを公表していた田啟元は人気の演出家・劇作家であった。彼のポートレート(画像31)や、社会に対する批判、台本が並べられ、その演劇作品の写真やビデオを鑑賞することができる(画像32)。

              

画像22: 蘭陵劇坊の舞台写真

 画像23: 蘭陵劇坊『代面』台本とチラシ

 画像24:『拾月“October, Ruin Circle Theater” 』一環墟劇場
画像25、26、27: 羅大佑のコンサートのカット

画像28: 湯英伸事件
画像29: 様々な社会問題に対して行われたデモ

画像30: 雑誌『20世紀台湾1982』
画像31: 田啟元   画像32: 田啟元の原稿
④翻譯術與混種 Translation and Hybridity : 翻訳とハイブリディティ

 このセクションはアートのみの展示となっている。当時の東南アジアでは著作権法の概念が現代のようには周知されず遵守されていなかった。海外から帰国した台湾人によっても大量の外国書籍が翻訳され、映画、音楽も流入するなどして、進歩的なイデオロギーが台湾国内に急速に広まっていた。

 それらと呼応するかのように女性の作品が取り上げられるようになった。中国の張愛冷は台湾でも人気作家となり、台湾を拠点に活動した三毛は翻訳家等の活動もしながら作家活動をした。彼女の著作物、手帳、手書き原稿や絵画、写真に写っていたスカートなどの展示もある(画像33、34)。同時期に海外の芸術家たちの公演も活発になっていた。香港の劇団二十面體、日本の白虎社(画像35)、フランス人パントマイムアーティストのマルセル・マルソー(画像36)等が来演している。それらの公演の一部は写真だけでなく映像として見られる。唯一残念なこととして当時発行されていた雑誌や書籍を手に取ることができず内容を見ることができなかった(画像37)。

画像33: 張愛冷の著作物の展示 画像34: 三毛の著作物の展示

画像35: 日本の白虎社

画像36: フランスのマルセルマルソー

画像37: この時代の雑誌、書籍の展示
⑤在地、全球化與身份認同 Local, Global, and Identity(地域、グローバル化アイデンティティ)

 1987年に戒厳令が解除された後、台湾の国際化が進む中で人々は大陸(中華人民共和国)の存在を常に考えながら、あらためて自らのアイデンティティについて、また世界の中での台湾の歴史的、地政学的な位置づけについて考えるようになった。

 たとえば国内に目を向けるとき、写真家は原住民を被写体として選び(画像38)、グローバルな視点では、台湾がシルクロードの東端と捉えて日本のNHKと共同でテレビのドキュメンタリー番組『シルクロード』シリーズの一本を製作することもあった。台湾国内の映画に関しては政府の意向に添うものを製作するのではなく、表現したいものを企画製作するようになっていった(画像39、40)。

 このように、このセクションの展示は絵画・音楽・映画・雑誌・コマーシャルフィルム・オブジェと多岐にわたっている。自由な表現を求める一連の動きの代表的なものとして映画『悲情城市』があり、ポスター、映画の撮影風景、場面写真が紹介されている(画像41)。演劇では優劇場、実験劇団の活動が活発であった(画像42)。中国の伝統色の強いものと西洋の舞台技術が融合されたものも上演されるようになった(画像43)。

画像38: 關曉榮 原住民を題材にした10枚連作の写真の一部
画像39: 電映合作社のメンバー 画像40: 987年台湾電影宣言的反響と取り上げている冊子

画像41: 映画『非情城市』撮影中の展示物

画像42:  優劇場のパフォーマンス写真

画像43:  雲門劇場10周年記念公演プログラム  舞台スチール写真
⑥匯流與前進Convergence and Onward (収束と前進)

 最後のセクションの会場はそれまでとは違って、体育館くらいの広さの大きく明るい空間だった。

 この部屋に入る瞬間、1988年に亡くなった当時の総統、蒋経国肖像画5枚が目に飛び込んでくる。呉天璋が描いた年代順の連作『蒋経国五期』だ(画像44)。肖像画の下には当時の新聞、またその前のスペースには80年代頃からの雑誌類の本棚が並んでいた(画像45)。他の壁面には21世紀のアート関連の専門家たちがインタビューに答える5つの大画面(画像46)があり、フロアの一角には現在も台北市内やその近辺に残り、訪ねることのできるスポットを示す地図のジオラマのようなボード作品(画像47、48)がある。  

 この部屋の造りの特徴は木の床で作られたひな壇だ。その階段やスロープのあるスペース、広いフロアの好きな場所で鑑賞者がのんびり座ったりしていた(画像47、48)。

 また、このセクションの奥には暗い入り口の小部屋があった。そこではミラーボールがくるくる回り室内を照らしていた。そして、スポットライトが壁に掛けられたレコードジャケットの一つに当たると、当時発売禁止となったそのレコードの収録曲が流れる仕掛けになっていた。それらの歌についての解説はなく、外国人には理解が難しいが、センチメンタルな感情を持っているかのように禁止されていた歌に聞き入っていた人も見られた。

 最後のセクションから出ると、展覧会の出口までにはさらに台湾の年表(画像50)や短編映画15作品を視聴できるカプセル型のブースが数個並んでいる。これらの短編をすべて視聴したい場合は、もう一度この映画鑑賞をメインに来館すると良さそうだ。

画像44: セクション6展示室呉天璋『蒋経国五期』

画像45: 1980年代前後からの雑誌棚

画像46: アート関係者、金士傑氏のインタビュー動画
画像47: 台北市地図と今回の展示関連施設案内ボード 画像48: 左記施設の解説
画像49・ 画像50: ゆったりとしたスペース  階段 スロープ

画像49: アートと社会情勢に関する年表の展示(天板に中国語と英語で表記)

 

3. おわりに

 台湾が大陸の中国との特殊な関係性を保つ中で、人々はこの『狂八〇』を訪れることによって1980年代が激動の始まりの時代であったことを思い出すだろう。このように、この展覧会は人々に当時のアートに触れさせ、アイデンティティについて考えさせるものであり、またアートが社会の成熟を促すことに大きく関わっていることを気づかせる契機となったのではないだろうか。

 

 

≪80年代をめぐる主な出来事≫

1978 蔣経国、総統就任

   アメリカと国交断絶

1979 雑誌『美麗島』創刊 美麗島事件に発展する住民と警察の流血事件、党外指導者   の大量逮捕

1980 美麗島事件で逮捕された林義男の家族惨殺事件発生(双子の子どもたち、母親死 亡、妻は下半身不随に)

1981 陳文成事件

1984  蒋経国が総統に再選、李登輝が副総裁に当選

   江南事件

1986 民主進歩党結成

1987 戒厳令解除

1988 蒋経国死去 李登輝が総統に昇格

1989 嘉義市郊外に初の二二八紀念碑が除幕 

   鄭南榕、国民党政府の言論弾圧に抗議して焼身自殺

   中国で天安門事件発生

 

 

【参考資料】

≪文献≫

何義麟『台湾現代史 二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』 平凡社 2014

台北市立美術館『狂八〇跨領域靈光出現的時代 The Wild Eighties Dawn of a Trans disciplinary Taiwan』ブックレット  2022

中村浩『ぶらりあるき台北の博物館』  芙蓉書房出版 2013

野嶋剛『ふたつの故宮博物院』  新潮社  2011

三橋広夫『これならわかる 台湾の歴史Q&A』 大月書店 2012

JTB パブリッシング旅行ガイドブック(編)『るるぶ台湾’23』 JTB パブリッシン グ 2022

≪ウェブサイト≫

台北市立美術館“VERSE ‘News北美館「狂八〇:跨領域靈光出現的時代」:台灣80年代的文青、知青和憤青都在幹嘛?’”  VERSE 2023.FEB-MAR、閲覧

台北市立美術館“狂八〇:跨領域靈光出現的時代| 臺北市立美術館”、2023.7.22閲覧

OPENTIX “北米パビリオン「Krazy 80: 学際的オーラの時代」”、 2023.7.23 閲覧

上記サイト内の画像 李在謙「無限の無限」画像提供:台北市立美術館のアーカイブ

2023.7.23 閲覧